小説版 ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ 感想

 映画化、漫画化もされた滝本竜彦の処女作、それがネガティブハッピー・チェーンソーエッヂです。
 なんともへんてこりんなタイトルですが全体を読めば、なるほど、タイトルの意味は良くわかる。
 ネガティブハッピーを訳すると、後ろ向きな幸せ。幸せとはもっと前向きで活気に溢れるものだと私たちは想像しますが、この作品の中の幸せとは私たちの想像とはまるでかけ離れているものです。
 その真意を知ったときは衝撃を受けます。というか私には背筋がゾクッとくるぐらい、鳥肌が立つぐらいの衝撃でした。そもそもこの本を読むまではこの本に出てくる思想を持ったことがなく、想像もしたこともありませんでした。
 この本を読むことによりのんびりほうけていた私の考えが、大きく変わることになりました。
 ちなみにこの曲がこの小説に合うと思われます。


 この本のあらすじはというと、謎の怪人チェーンソー男を倒すため今日も美少女戦士の絵里ちゃんが戦う。そしてその戦いをアシストするのが主人公の山本陽介なのだ!!
 ・・・
 (゚Д゚)ハァ?
 いや、そう思ってもかまいません。ほんとに。
 というかむしろそう思え!
 タイトルもへんてこりんですが、冒頭の展開もへんちくりんです。だっていきなり少女と怪人が戦うんですから。まるでどっかのアニメやライトノベルだ。
 しかし!それでいいのです。その非現実さや不条理さをそのまま受け取ってください。その感情そのものが物語の根幹にかかわるのですから。
 よくよく考えてみれば、この作品には多くの象徴が出てきます。この作品に出てくるものや展開そのものが作者の言いたいことの象徴だと言えるような、少女と悪者が戦うということにたくさんの思想や哲学が絡んでくるのです。
 チェーンソー男という、とてつもなく不気味で人に害をなすという存在。彼はチェーンソー振り上げて襲い掛かってきます。それは古典的なアメリカンテイストなホラーではありますが、その固定観念からみても、チェーンソー男は悪者です。
 もう誰が見たって悪者です。チェーンソー持って襲い掛かってくる男を見て「こいつは安全だ!」なんて言う人はまずいないでしょう。そんな悪者を倒すため、高校生の絵里は戦います。そしてそれを見た山本もそれに加わります。
 しかし山本はライトノベルや漫画やアニメによくあるような、戦いに巻き込まれたから戦う、というのではありません。彼は悪者を倒す、という非現実的で理想的な状況に進んで巻き込まれていったのです。
 山本には熱中できるものというのが全く無く、彼の最近の生活はただ何も思わず何も目指さず、何もせずに過ごしていました。勉強だってやってません。言わば、彼は現代的な無気力少年だったのです。
 そんな中現れたのが、チェーンソー男。何も熱中できるものが無かった彼にとっては救いの存在だったでしょう。チェーンソー男を倒す、その目的によって生きる意味を持ち、つまらなくてやるせない存在の現実を見ないですむ免罪符を手に入れたのですから。
 山本は現実というものについて疑問をもっていました。
 そのきっかけとなったのは、彼の友達だった能登の自殺。
 能登はいつも何かに怒っていて、そして怒る自分に対してすらも怒っていました。彼の妙な生き様は山本の人生を変えるのに十分でした。
 現実には納得できないものやおかしいものはたくさんあります。しかし誰もそれについて疑問に思いません。誰も見ないようにしているのです。もしいたとしても、周りの人間がその考えを否定して抑えつけます。
 しかし能登は違います。彼は彼の哲学を持ち、納得のできないもの全てに反抗していました。それはただの不良少年や反抗期の少年とは異なっていると思います。途方も無く大きな存在、彼はそれに果敢に挑戦したのです。
 山本は物語が進むにつれ、自分の本当の気持ち、能登の自殺の真相に気づくことになります。いや、というか最初からわかっていたのかもしれませんが。
 最近の若者には信じられるものや反抗する相手がいない、と言った担任の先生の話。渡辺が初めて最後まで熱中できた曲作り。そしてそれが能登による作詞によって完成したこと。転校が決まったこと。
 それら一つ一つによって引き起こされる思い、その全てがチェーンソー男との戦闘につながり、山本は全てを悟ることができたのです。
 山本は心の奥底から信じられるものは何も無く、全ては幻のようなもので実像が無い。だがやっとみつけたそれは、存在する不条理であるチェーンソー男と絵里ちゃんへの想い。
 不変の真実を手に入れそれを決して手放さないようにするため、そしてそれを叶えるために死ぬという生きる意味を達成するため、山本はこの不条理な現実へ命をかけた特攻をするのです。
 「俺を、俺を殺してくれ」と言って。
 それこそが、後ろ向きな幸せ――
 しかし現実は山本の願いを叶えませんでした。彼はこの世界、チェーンソー男、そして能登に取り残されました。
 生きていてしまった。
 しかしだからこそ、山本は意味の無いこの世界に意味を見出すという能登ができなかったことを成し遂げるために、チェーンソー男が消えたこの世界で精一杯に小さな幸せを誇りを持とうとします。
 「生きている俺が羨ましいだろう!」
 雪の降る誰も聞いていない夜に、山本はまるで自分に言い聞かすように、そう叫びます。
 それからの山本は、絵里ちゃんとデートをしたりして幸せな状況を満喫します。彼の心の奥底ではその幸せを素直に受け取っていないかもしれませんが、彼は「そんなことは知ったこっちゃない」として無視します。
 現実は不条理で、幸せは決して永遠に続きません。絶対的なものなんてありません。しかしそう感じながら生きていけば心の原動力は足りなくなります。
 ですので、やはりそんなことは考えなくともいいのかもしれません。現実を忘れてしまえるほど私たちは馬鹿ではありません。ですからあえて、完全な幸せなんて決して得られないこの世界に思い切り反抗してやりましょう。幸せになってやりましょう。私たちが現実と戦う中で出来るのは、その程度のものです。
 この小説に出てくる後ろ向きな幸せはこの現実の中での真実のものかもしれません。しかしたとえ間違っていても、前向きな幸せというのは人間が生きていくには重要なものだと思います。
 私たちは真実では無い、間違った生存方法でのみ生きていけるのかもしれません。あまり考えすぎると、死んでしまいます。

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫) ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)
(2004/06)
滝本 竜彦

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Posted by YU