小説『楼蘭』 感想

楼蘭  作 井上靖
 1960年前後に井上靖さんによって書かれた短編小説がまとめられた「楼蘭」を読みましたので感想を書いていきます。
 表題作「楼蘭」のように中国西域を題材とした短編が多いようですが、南インドや日本、現代日本の短編などもあります。
 載っているのは12編であり、楼蘭、洪水、異域の人、狼災記、羅刹女国、僧伽羅国縁起、宦者中行説、褒姒の笑い、幽鬼、補陀落渡海記、小磐梯、北の駅路が載っています。感想は、この中から特に気に入ったもののみ書いていきます。

楼蘭 (新潮文庫) 楼蘭 (新潮文庫)
(1968/01)
井上 靖

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楼蘭
 スウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンによって明かされた楼蘭遺跡と移動するロブ湖の報告を元にして書かれたもののようです。
 楼蘭は中国西域の入り口付近にある国で、交通の要所となっていました。近くにはロブ湖という湖があり、比較的肥沃な土地でしたが、その立地条件ゆえに匈奴と漢に悩まされてきました。楼蘭人は一旦匈奴を避けるために漢のほうへ都を移します、匈奴がいなくなったらまた戻ってこようと思って。しかしそのときはなかなか来ないで、都を移して600年経ってから奪還しようとすると、砂に埋まってしまった、というのがあらすじです。
 「楼蘭はロブ湖によって作られ、ロブ湖無しでは楼蘭とは言えない」というようなことが書かれています。しかし、ロブ湖は元々流されてきた土砂によって1500年周期で移動してしまう「移動する湖」であります。ゆえに、ロブ湖無しで存在できない楼蘭は、ロブ湖の習性から、元々滅びてしまう運命にあった国だったということがわかります。
 おそらく楼蘭で生きた楼蘭人は、このようなロブ湖の習性を知らなかったでしょう。ロブ湖を不変の存在として崇め、そしてこの地に国を作ったのだと私は思います。滅びるべき運命を持つことを知らずに、生活していたのだと思います。
 しかし、「滅びる運命」と言っても、それはどんな国にもつき物であり、その運命を予め知る人間はいないも同然です。だから、ロブ湖の近くに国を作ってロブ湖を頼りにしていた楼蘭は哀れだというのではなくて、刹那的歴史を体現しただけの「ありうる」運命を持つ国だったのかなと、感傷的に思ってしまいましたよ。
洪水
 西域に入って匈奴を討とうとした部隊の物語。氾濫した川によって行く手を阻まれた部隊がその川と交戦すると水が引いていき、匈奴を討つ事ができた。目的を果たして漢に帰る途中、またもや氾濫した川に行く手を阻まれたが、部隊長は出会った愛する女を生贄にすると川の水が引いた。そしてその後、全てを飲み込むほどの洪水がやってきて、全ては泥流に埋もれてしまった…。
 
 この短編で注目するべきシーンは、愛する女を生贄に捧げたシーンと、全て飲み込まれてしまったというシーンの二つですね。
 1回目の洪水では女を捧げることを拒否したのにも関わらず、2回目の洪水では女を捧げました。その違いは何でしょうか?おそらく、1回目は西域の平定のためにであり、2回目は漢に帰るために洪水を突破しようとしたところに鍵があるかと思われます。部隊長は、「漢の町並みにその女が立っているところを想像すると、しっくりいかなかった」というようなことを感じています。つまり、西域に同化しようとしていたのが1回目、2回目は「漢人」となって漢に帰るという想いがどこかにあったからそのような選択をしたと、妄想レベルの推測ですが私は思います。
 2回目の洪水を渡った後すぐに大洪水によって、部隊や築いた城邑全てが飲み込まれます。これはもう本当に…楼蘭や敦煌や「異域の人」のような井上靖さんが書いた西域ものと同じような、必死に努力して状況を改善しても、運命によって全てが無に帰すことが書かれていましたよ。永遠は存在しないからこそ、刹那的であってもそれは「歴史」なんでしょうね。
異域の人
 西域のほぼ全てを平定した班超の、西域入りをしてからの人生を書いた短編。この作品は敦煌や楼蘭のように都市を主人公としたものではなく、個人の班超を主人公にした作品となっています。
 大部分は班超の国々を平定していく模様が描かれており、小説というよりは班超の行動をまとめた歴史書のように書かれています。
 班超が必死に行ってきたこと全ては、ラストシーンで昇華されます。西域に半生をかけてきた班超は姿も漢人とは変わっていて、漢の都で「胡人!(西域の人間を表す)」と子供に言われます。また、都に匈奴人がいたと思ったらそれはかつて行方不明になった自分の部下のようでした。
 西域で生きてきた班超は、西域の人間になったのでしょうか?彼は西域に骨を埋めることに抵抗はなかったですが、晩年に漢に帰ることを望んだことを考えれば、完璧な西域人というのでもなかったようですね。しかしそれでも「胡人!」と言われましたが、そう言われて悲しくなったというのでもないでしょう。
 人種というものがある土地や気候で暮らすというだけで分かたれ、遺伝的には大差ないというのであれば、班超が胡人のようになったのは「西域の人間と漢人は本質的に同じである」というようなことが言えるかもしれません。もしくはただ単に、「なるべくしてなった」と言ってしまったほうが正しいのかもしれません。
 班超の死後、西域は再び荒れ、班超が西域に入る前と同じようになってしまいます。
 この結果はなんとも無慈悲なもので、班超の半生を無駄にしてしまうような結果に思われます。しかし考えてみると、やはり歴史というのは不変であることは無く、刹那の積み重ねが歴史のようであるので、班超の行った行為も決して他のものと較べて無意味だとは言えないと思いますね。
宦者中行説
 漢は匈奴の侵攻に悩まされており、何とか親交を持とうとして娘を送ったりしましたが、そのときに目付け役として匈奴へ一緒に付いていった中行説の物語。彼は漢の役人であり漢に忠誠を誓っていましたが、匈奴の元へ行って匈奴のことについて色々勉強すると、共感できるところも多々あり、いつしか匈奴のために働くようになります。かつての居場所だった漢を攻めるのにも抵抗を感じなくなってきます。
 この話は、「異域の人」のラストシーンに班超が「胡人!」と言われたものと同じような雰囲気がありますね。やはり不変なものは無く、その状況や時代によって人は変わり、時代も移り変わっていくように感じます。
補陀落渡海記
 西暦1550年辺りの、補陀落というインドにある仏教の聖地の一つを奉った和歌山県にある寺の話。その寺は補陀落という地を聖地としているため、和歌山の海から舟にのって補陀落を目指して成仏するというような行事がなされたことが数回ありましたが、ここ最近住職が61歳の11月に渡海するということが続いていたので、世間は補陀落寺の住職はそういうものだと思い込んでしまい、主人公の金光坊は世間の浪に飲まれて渡海をしてしまうことになります。
 金光坊は渡海が決まってしまっても、「渡海に至る心境」というものにまだたどり着いておらず、なので渡海をしてきた過去の人物について考えます。渡海をしてきた人たちはどれも信心深いから渡海をしたというよりも、少し頭がおかしかったとか、一人になりたかったとか、補陀落なんて絶対に行けずに海の藻屑となって死ぬことがわかりきっておりながら渡海をしたなど。
 そういう信心深くもないのに渡海をした人たちを金光坊は最初は嫌悪していましたが、渡海の日が迫ってくるにつれてそのような心境にでも良いので成ることを望むようになりました。そして渡海の日、彼は最後に言います、「助けてくれ」と。
 信仰や宗教というものは、もしかしたら本当はこういうものなのか?と最初に思いました。信心ってなんだろうか?寺や神社に祭ってあるものは単に「そういうもの」というだけであって、本当に心から信じるものは狂人だったりするのかも?そして、「そういうもの」だということがわかっている人たちは、ただ自分の欲求のために「そういうもの」を利用しているだけなのかもしれません。
 住職は祭ってあるものについての研究は行って、それが一体なんであるかも知っているでしょう。だからこそそれが実在するものなのか、絶対に実在しないものだということがわかっており、それでもなお「そういうこと」だとして、普通の世間の運命に飲まれながら、見た目では信心深い人でありながら本当は諦観しきった人として抵抗もせずに希望も持たずに、運命を受け入れたのだろうかと、少し思いました。
 
北の駅路
 井上靖さんが見知らぬ人からもらった東北の駅路を載せた江戸時代辺りの本と、その見知らぬ人からもらった手紙の話。井上靖さんが書いた物語というより、その見知らぬ人によって作られた短編という感じでしょうかね。
 見知らぬ人は小説家を目指していて結局諦めましたが、だからこそ小説を書く人間の心境というものを客観的に捉えられており、なかなか面白い分析が出来ていたと思います。
 その人はその東北の駅路を書いた人についての小説を書こうとしていましたが、その小説の最後は「道ここに尽く。入水。」とすることを最初に決めたようです。しかしそのように終わるのだとした理由は、自分の現状が「道ここに尽く」という状態であったため、自分をその主人公に投影てそのような結末が思い浮かんだのだろうと考えたようです。
 小説家というものは、やはり天から降ってきた物語を文字に書き写すというのではなく、知らず知らずに自己分析を行って、自分の経験や考えから物語が生まれていくのだろうということを思いました。つまり、病的な話を書く人は何か病的な考えに囚われていたり、明るい話を書く人は現状が明るいかもしくはそれを望んでいる状態だったりするのでしょうね。
 

小説

Posted by YU