小説「義経」下巻 感想

雑記
 最近私の生活での忙しさのレベルが上がったのですが、それに対応するように頭や身体がキビキビと動くようになってきているような気がします。人間、その状況に置かれればそれなりに適応するのかもね。

義経〈下〉 (文春文庫) 義経〈下〉 (文春文庫)
(2004/02)
司馬 遼太郎

商品詳細を見る


下巻
 下巻は義経による義仲討伐から、義経の死までです。下巻には有名な、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いが描かれており、かなり燃えるものとなっています。面白くて読むのを止められん!
 この時代のは現代とは違い、また、戦国時代とも異なるようです。すべては個人の武勇の総和であり、包囲作戦などのような戦術を用いなかったようです。つまり、単なる突撃のようなもので戦争を行っているようでした。
 戦術を用いたほうが戦に勝ちやすくなりますが、そのようにしなかった理由としては、この時代では軍と言ってもそれは単なる傭兵のようなもので、戦闘後に得られるもののため、自分の武勇を高めるためだけに戦っていたのです。「主君のために相手に勝って、主君の大いなる構想を実現させよう」なんて想いは無いと言っても良かったようです
 そんな時代に、義経は「平家に勝つ」という目的のために、戦術を用いたのです。武勇や褒美を得たいという想いを彼は持っておらず、「父の復讐を成し遂げたい」という想いのみを持っていたため、「勝つ」ことが彼の最重要課題だったわけです。
 義経の戦術には、その見事さに感嘆してしまいましたよ。場所を知られないために義仲を翻弄したり、一ノ谷の戦いでは大迂回とかの名高い「逆落とし」をやってのけましたし、屋島の戦いでは嵐に乗じて阿波に渡って奇襲を行いましたし。
 一つ間違えれば自滅してしまうため、個人の武勇を最大限に尊重していた坂東の武士たちには大きすぎる賭けでしたろう。しかしだからこそ、「ありえない」ことを行うことで大勝利を得られたのでしょうね。
 少数の軍隊が戦術を用いて大軍隊に打ち勝つ、だなんて日本人が最も好きな戦の展開じゃないですか。いやむしろ、この時代辺りからそれが美意識となったとか?
 しかも、騎兵の機動性を最大限に生かした戦術を取ったのは、織田信長の桶狭間の戦いを除けば近代になるまで後にも先にも無かったようです。全国の天才が跋扈した戦国時代でも、行軍を素早くするというくらいの戦術があるだけで、騎兵の機動性を活かしたとは言えないようです。「戦術」というものが無かったこの時代に、戦術の中でもトップクラスのものを義経は成し遂げたのです
 しかし…、戦術が無かったからこそ、その時代ではその価値が武将たちにはあまり理解されず、評価もそこまで高くなかったのは残念ですね。後世にかなりの評価となりますが、やっぱりいつの時代も天才は理解されにくい存在なのでしょうね。
 源頼朝は武士たちの土地を朝廷の権力から脱するために、鎌倉幕府を作って朝廷から独立します。これが後に何百年も続く武家政治の発端となります。
 確かに頼朝が行ったことは、武家が公家にこびへつらうことをしなくてもよくなるため、武家にとってはまさに革命的なものであり、尊敬されるのはわかりますね。このようなことを成し遂げられたのは、頼朝が個人の土地などを持たず、他の武家と協力しないといけなかったために、逆に全体を統治できたのでしょうね。もし彼が大きな武力を持っていたら、彼自身の力だけで武力統一をしたかもしれませんが、おそらくそのようなことをやっても長くは続かなかったでしょう。
 しかし頼朝は、恐怖心と猜疑心が強く、神経質と言ってもいいような性格なのが玉に傷のように思えました。御家人の顔にあだ名をつけたり、政子に逆らおうとしなかったりするところも、武将としては格好が悪いと思います。一応教科書には載りますがあまり人気が無い(感じられない)のは、そういう性格と、義経を追い落としたからなのかもしれません。
 
 壇ノ浦の戦いでは平家の事情も説明されていました。血が繋がっていない疑惑などがあっても、家族として団結し、各々の能力を最大限に活かそうとするのは、敵ながら天晴れいった感じです。敵として、というか対戦相手としてふさわしいということを、互いの知勇を最大限に活かした壇ノ浦の戦いの前に、そのような紹介を行う構成は評価できるものです。「両方頑張れ!」と、応援したい気持ちで読み進めていけました。
 教経の最期など、平家の滅亡の様子も、何と言うか物語としてふさわしい最後でしたよ。全精力をお互いが競い、そして華々しく散る!戦いの最後としてここまでドラマチックなのはそうそう無いですよ。源平合戦の敵役として美しかった平家に、敬礼をしたい気持ちがあります。
 さて、義経の人生について記述していきましょう。
 かつては浮浪児のような扱いを受けてきた少年が、父親を殺し自分を不幸な境遇にさせた平家を追い落とし、京で一世を風靡する。その出世っぷりは見ていてスカっとします。特に邪智も持たないため野望などで汚いものが見えず、そのため庶民にとってはまさに「英雄」として捉えられやすいかと思われます。
 「復讐」を第一にした義経ですが、平家を恨んではおらず、復讐という行為そのものを人生の目的にしたようですね。それ以外には人生における目的はほぼ皆無であり、出世したいとか一家を作りたいとかそういう想いは無かったように書かれています。
 が、だからこそ、政治には興味が無く、政治観も無かったために朝廷などに良いようにもてあそばされ、鎌倉の頼朝の信用を失い、結局両方から追い落とされてしまうようになったのは、やはり悲しいものです…。義経にとっては、最初から最後までただひたすらに頼朝に気に入られようとしていましたが、政治力が無かったために、謀反の気持ちなど一切無かったのにも関わらず信用されませんでした。そして追い詰められ、自害。
 義経の人生は後世に大きな影響を与え、人々の同情心を動かし、その結果「判官びいき」という言葉も生まれたほどです。
 確かにこの結果は悲哀に満ちたものでしょう。弱者が必死に頑張って強者を打ち倒すというものは、日本人の好きな展開ですが、結局は強者に倒されてしまうという…。それに、肉親の愛をあまり受けられずにその愛に餓えていた人物が、肉親に襲われてしまう結果。義経の人生には、悲哀の要素がそこかしこに散らばっています
 義経が活躍していくシーンでは、楽しく読み進めていけます。しかし、読後は悲しさで胸が張り裂けんばかりになります。
 ラストシーン、「悪とは、なんだろう――」という疑問を、司馬遼太郎は提起しています。義経が死んだのは、悪だったからだろうか?それとも、時流によるものだったのだろうか?武士は武力を持っており、新しく台頭した武家政治では武力こそ重宝されるかと思いきや、武力を持っていた義経が政治力で負けてしまうという結果は、何とも皮肉なものです。
 戦時中では英雄だった者が、次の日には追い落とされるべき悪となるこの「義経」は、もの悲しく切ない物語でしたよ。義経にも、平家にも、『無常』を感じざるを得ません。

小説

Posted by YU