ほしのこえ 感想
ほしのこえ-The voices of a distant star- 監督 新海誠
2002年に新海誠さんが、監督・脚本・演出・作画・美術・編集のほぼ全てを一人で行って製作した25分のフルデジタルアニメーションです。オリジナル版は男子役の声優も新海さんが行っています。女子役は別の人ですが。
レンタルDVDで見たのですが、「ほしのこえ」以外にも「彼女と彼女の猫」という短編アニメもあったのでその感想も書きます。
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ほしのこえ(サービスプライス版) [DVD] (2006/11/17) 武藤寿美、鈴木千尋 他 |
まず第一印象として、本当にこれほとんど一人で作ったのか!?と思いましたよ。25分の作品ですが、背景はすばらしいし動きも結構ありますし、効果音の使い方もいいです。
特に、CGがすごいです。新海さんのホームページを見ると、元はゲームの方にいたようで、CGに関しての技術はそれなりにあったようです。しかしそれでも…、戦闘シーンなどは商業作品と遜色ないレベルなんじゃないかと私は思います。これを個人で作るとは!意味がわからん…、どうしてこんなことが出来るの?まだまだ自分の知らない技術や世界があるんだなあと実感します。
キャラクタなどの描写はあまり経験が無い様で、以前私が見た「秒速5センチメートル」とかと比べれば少し違和感があったかな…。でも、表情など、描きたいものや見せたいものはちゃんと伝わるレベルなので問題は無しですね。
この作品には「宇宙」が登場しますが、それと同時に「日常」も登場します。宇宙でのCGの使い方などにも感嘆しますが、私は「日常」の方にも感動しましたよ。日常世界の静けさ、ノスタルジック、あの幼い頃に感じた、今とは少し違った『世界』。これらを上手く描いており、美しい…としか言いようがありません。これらの、何気ない日常にも関わらず人を感動させる要素を発見するには、やはり深い洞察力が無ければ難しいでしょう。新海さんはそれをやってのけました。それによって彼は、この業界の中でも特異性を持った人間として位置づけられるということが決定されたと私は思います。
さて、ストーリーですが、そのあらすじはやはり公式HPに載っているセリフ、
私たちは、
たぶん、
宇宙と地上にひきさかれる恋人の、
最初の世代だ…。
というのが全てを表していると思います。プラトニックに愛し合っていた少年少女が、距離と時間(厳密には距離と時間は同義)で引き離されてしまうということ…。
もちろん『愛』がキーワードとなるのですが、しかし愛という言葉だけで済ますの陳腐でしかありません。確かに二人はお互いに「会いたい」と望んでいるかもしれません。しかし単純な「会いたい」では無いかも知れません。そう思った根拠は、ラストシーンの、
ノボル「ねえミカコ、俺はね」
ミカコ「私はね、ノボルくん。懐かしいものがたくさんあるんだ。ここにはなにもないんだもん。例えばね」
ノボル「例えば、夏の雲とか、冷たい雨とか、秋の風の匂いとか」
ミカコ「傘に当たる雨の音とか、春の土の柔らかさとか、夜中のコンビニの安心する感じとか」
ノボル「それからね、放課後のひんやりとした空気とか」
ミカコ「黒板消しの匂いとか」
ノボル「夜中のトラックの遠い音とか」
ミカコ「夕立のアスファルトの匂いとか…。ノボルくん、そういうものをね、私はずっと」
ノボル「ぼくはずっと、ミカコと一緒に感じていたいって思っていたよ」
という一連のセリフです。他の感想サイトでもおっしゃっているように、このシーンがこの作品の核となる箇所でしょう。
上のセリフは、「あの日あのときに感じたこと」を言っているのであって、普通はこのような感覚は大人になれば無くなっていき、子供の世界は大人の世界へと変質していってしまいます。しかしそれでも、二人は「一緒に感じていたい」と思っているのです。たとえ世界がどうしようもなく変わっていこうが、あのときを変えたくは無い。過ぎ去った時間は無くなるのではなく、想い続けている限り、「ここにいるよ」ということではないだろうかと私は思います。
彼女と彼女の猫
終始モノトーンの短編アニメーション。猫が登場するのですが、主人公はこの猫で、セリフもほとんど猫。声は新海さん自身です。
白黒の画面は、これはこれで雰囲気があります。何だろうなあ…、言葉では言い表しづらいんですけど、昔の白黒写真のような雰囲気と言うか、世界の一部なんだろうけれども、だからこそその世界にさらなる拡張性があるように感じられると言うか。
小さな小さな日常を描いていますが、『世界』という言葉が出てきます。しかし、「世界≠広い」と私は思います。たとえ宇宙に行って地球から何光年も離れようとも世界はさらに広いとも言えます。しかし個人の視点から見れば、この日常も外も全て、『世界』でしょう。世界に大きさはありません。だからこそ、「今この瞬間」は、『全て』だと言えるのかもしれないと、この短編を見て少し思いました。