『井上靖』蒼き狼の読書感想

2019年11月23日

蒼き狼の表紙

1959年頃に井上靖によって書かれた、チンギスカン(テムジン)の生涯を題材とした「蒼き狼」の感想です。

『敦煌』『楼蘭』など、井上靖は中国西域を題材とした小説を多く書いていますが、この『蒼き狼』もその一つ。
他の作品同様、淡々と歴史的事実を述べていく中で、人のどのような想いや運命が歴史を作っていったかに着眼点が置かれています。

あらすじ

風の如く蹂躙せよ。
嵐の如く略奪せよ。

世界史上未曾有の英雄、成吉思汗即位八百年!
遊牧民の一部族の首長の子として生れた鉄木真=成吉思汗(テムジン=チンギスカン)は、他民族と激しい闘争をくり返しながら、やがて全蒙古を統一し、ヨーロッパにまで及ぶ遠征を企てる。
六十五歳で没するまで、ひたすら敵を求め、侵略と掠奪を続けた彼のあくなき征服欲はどこから来るのか?

――アジアの生んだ一代の英雄が史上空前の大帝国を築き上げるまでの波瀾に満ちた生涯を描く雄編。

(新潮社より引用)

蒼き狼と白き牝鹿の伝説

表題の『蒼き狼』とは、モンゴル人の祖となる伝説上の獣のことを指しています。

―上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。
その妻なる惨白なまじろき牝鹿ありき。
大いなる湖を渡りて来ぬ。
オノン河の源なるブルカン嶽に常盤いえいして生まれたるバタチカン(人間)ありき。

「元朝秘史」

チンギスカンはこの伝説を深く心に刻んでおり、蒼き狼の子孫たる者として、力強く生きていこうとしています。
この『蒼き狼』は後に、チンギスカンその人を表す言葉にもなっていきます。

モンゴル帝国の強さと早さ

最初はテムジン家族だけから始まったのが、徐々に人々が集まって勢力を増大。
最大の敵トオリル・カン(オン・カン)を倒してモンゴル高原を平定。
ここまでが前半くらい。

以降はモンゴルから出ていき、異境への侵攻を行います。

wikipedia(チンギス・カン)を見ても分かりますが、当時の超巨大国である金(中国)とホラズムへの征服がめちゃくちゃ早いです。
金へ侵攻したのは1211年、和平を結んだりもありましたが1215年に首都を陥落。
モンゴル人がどんな国か全く知らないホラズムと関係を持ったのは1218年、そのわずか2年後の1220年に首都サマルカンドを含む大都市を陥落。

当たり前ですが1200年代なんてまだまだ技術は未発達で、移動手段は馬などが基本。
補給や道づくりも難しく、大陸を移動するのも大変なはずです。
だのにまるで、ただ走り抜けただけのような速さで、次々と諸国を征服していくモンゴル人。

モンゴル帝国は近世以前全ての中で1番広い領域の国となります。
そんなことが出来るほど圧倒的な征服力があったのはどうしてだろう?
おそらく遊牧民としての生活の移動のしやすさ(兵站の上手さ)、一兵ではなく軍として戦う統率性、機動力と奇襲に優れた弓騎兵、金に攻め込んで得られた攻城戦の技術などでしょう。
まあそこらへんは小説のメインテーマではないので、割愛されています。

なぜチンギスカンは征服欲を持ったのか?

あとがき(蒼き狼の周囲)に、井上靖がチンギスカンを研究した理由が書いています。

私がチンギスカンについて一番書きたいと思ったことは、チンギスカンのあの底知れぬ程大きい征服欲が一体どこからきたかという秘密である。

そういう訳で、この小説内にはチンギスカンの征服行動だけでなく、子や妻、征服した後の国への心情も書かれています。

モンゴル人が金などに攻め入ったのは、食料や衣服に乏しく貧しい思いをしていたからってのは分かります。
ただ普通に客観的に考えれば、それ以外の国へ攻め入る理由がありません。
金を征服するだけで人として生きることの欲求は満たされるはずです。

しかしそれでも、チンギスカンは征服事業を続けます。
その理由は男としての「支配欲」、チンギスカンは根っからの「征服者」だったからなのではないか。

「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」

『モンゴル帝国史』

そういう訳で、チンギスカンは征服し終わった国々に対しては特段の興味は持たず、軍の移動や補給が出来さえすれば良いくらいの、淡泊なものです。
国々を全てモンゴル風にさせるなんてこともなく、むしろモンゴル軍が異郷の文化に触れてモンゴル人としてのアイデンティティが崩壊しつつある、なんてことにもなっています。

何十万人もの大虐殺をしても、数年経てば人が集まってきて、以前と似たような生活を営みます。
モンゴル人がそこに入ることは自由に出来ますが、征服した甲斐というのは感じられません。

小説中では「自分は本当はメルキトの人間であり、蒼き狼の子孫ではないのではないか」という疑問がチンギスカン自身に存在します。
自分はモンゴル人なのだと信じたくて狼のように強くあろうとしたチンギスカンと、異境へ侵攻したことで異文化と接することでモンゴル人が変化していく様子は、面白い対比です。

そしてまた、自分の血を継いではないかもしれない子供「ジュチ」の死を深く悼む様子。
親の非情を感じながらも進んで最も危険な任務を果たそうとして『蒼き狼』になろうとしたジュチの人生もまた、感動的なものです。

チンギスカンもジュチも、己の存在証明を戦いの中で試みていたかもしれない。
もしそうなら、得体のしれない世界史上の怪物も、我々と同じく一人の人間だと感じられることでしょう。

小説

Posted by YU