小説「豊臣秀吉」 総括

雑記
 梅雨入りしたのか…。
 週末は山に行けなくて暇になりそうだから、またアニメでも見るか~。


豊臣秀吉  作 山岡荘八
 山岡荘八さんが書いた、全8巻の「豊臣秀吉」の総括記事です。太閤記はこの山岡版意外にもいくつかあるので、ここでは山岡版の豊臣秀吉の総括と豊臣秀吉の生涯についての総括を書いてみたいと思います。
 まずは、「山岡版」の太閤記について
 山岡荘八さんが書いた「豊臣秀吉」の作品は元は「異本太閤記」と言い、今までの太閤記と違う箇所があるのでタイトルに「異本」をつけたようです。他の太閤記とは異なる最も大きい箇所は、山崎の戦いの後に死んだと思われた明智光秀が僧侶となり、秀吉の御伽衆である千利休や曽呂利新左衛門と一緒に陰で秀吉の政治を助けたり、徳川家康や柴田勝家の元に行って秀吉との戦をコントロールしたことでしょうね。この説はただの作者の空想ではなく、いくつかの史料や不可解な石碑の文字があったからそう考えたようです。それに、戦のときに不可解な人物が現れて情報や助言を与えるというようなことがあって、作者はその不可解な人物を明智光秀だとしたようです。
 この、明智光秀が裏で秀吉を支えるようになったというのは、なかなか面白い話です。だれかが勝った負けただのという風に簡略化された歴史の流れだけではなく、本当はその裏に多くの人間の運命が絡まりあって作用しているというようなことを考えさせられ、感慨深くなります。
 ただ、その説には少々強引なところがあったり、その説と同レベルくらいのものかと思われる明智光秀=天海説を「間違いだ」と決め付けてあったりするなど、作者に少し驕りを感じてしまう場面もいくつかありました。
 他の太閤記を読んだことはないのですが、全体的には山岡版の太閤記は登場人物が生き生きとしていてテンポが良く、エネルギーがある感じがしました。なので読書中も楽しく読めて、なおかつ一気に読んでいけました。後、この小説は「異本」としているので作者は積極的に今までの史料を懐疑的に捉え、自分の判断ミスをあまり気にせずに大胆に真実を探求しようとしている姿勢があり、今までの太閤記とまた違う面白さがあったと思います。
 しかし、俗説を否定するときにその根拠となった史料の提示が無かったりするなど、やはり作者の驕りのようなものが見えるときがありました。別に「あえて俗説を採らない!」というのは良いんですが、もう少し「~ではこう書かれているが、~の史料では~だと書かれている。日付などを考えると私は~のほうが正しいと思うので今回はこちらを採用する」というような丁寧でかつソフトに俗説を否定するのなら良かったなあ…。小説の中ではこのような文章ではなくもっと強引に俗説を否定することが多く、もう少し謙虚さがあったほうが良かったと感じることも多々ありました。
 ここからは、豊臣秀吉の生涯についてです。
 豊臣秀吉は、ご存知の通り百姓から天下人に出世した、類まれな人物です。このような一百姓が最終的に国を左右する大人物となったことは、(おそらく)世界中の歴史の中でもまれでしょう。私がぱっと思いつくのは、ジャンヌダルクくらいしかいませんし。
 最初の秀吉は、知恵の限りを尽くして多くの有力な人物にコンタクトを取り、最終的には信長の家来となることができます。その後も知恵を用いて活躍していき、信長の家臣の中でも有力になっていきます。
 このように、弱い立場にある人物が知恵を活かすことで強敵に勝ったり活躍していくのは、日本人の好きな「弱者が知恵を活かして強者に勝つ」に上手く合致しており、このころの秀吉は見ていて爽快ですね。
 中盤の秀吉はどんどん出世していきますが、主君の織田信長は本能寺の変へ死亡。ここから秀吉の一武将としての天下取りが始まります。明智光秀や柴田勝家と戦って勝利したり、徳川家康とも戦ったりするなど。
 おそらく、秀吉は最初から持っていた才覚も素晴らしいものだったでしょうが、信長と接しているうちにさらに知恵や考えに影響されたのでしょう。
 ただ、この辺りから秀吉は兵力的にも強者側となることが多く、初期の「弱者が知恵の限りを尽くして強者に打ち勝つ」というような爽快感が減ってきたような感じがします。
 終盤の秀吉は天下人として立派な大坂城を建てたり、天下統一をしたり関白になったりするなど、ほぼ全ての面で栄華を極めます。が、朝鮮出兵や病気やお家騒動で一気に悲壮な雰囲気へと変わっていきます…。
 この辺りでは天下人となった秀吉の驕りが見えてきますが、百姓から大出世したのでまあしょうがないか。それに…。
 ここで秀吉の生涯の喜びと悲哀が見えてきます。百姓から大出世した秀吉ですが、多くの女を寵愛したというのに男好きの淀君としか子供が生まれませんでした…。淀君との子供は、秀吉自身が「自分の子供とは思えない」と解釈できる手紙を出しているので、秀吉は自分には種がないと自覚していたのでしょう。
 秀吉は百姓から、天皇を除いて日本中で最も偉い立場まで来たというのに、種がなくて子供を残せずに、生涯を終えてしまう…。もし秀吉に子供が出来ていれば、おそらく征明などという壮大なロマンを抱かなかったのではないかと私は考えます。子供を残せなかったから、ほとんどヤケな気持ちで「どこまで行けるか、何か残したい」という考えで征明をしようとしたのではないでしょうか…。

露と落ち 露と消えにし わが身かな
 浪花のことも 夢のまた夢

 この辞世の句の解釈はいくつかあるでしょうが、山岡版太閤記で秀吉が「秀頼は自分の子供ではない」と考えていたけれども天下人の子供として秀頼を溺愛したとの考えを前提に、自分なりに解釈してみます。
 上記の前提から、秀吉はたった一人で大出世したのに実子を残せなかったということになります。その子供を残せなかった秀吉の気持ちを考えて、辞世の句を読んでみると何とも切なくなってきます…。

何もないところから露のように生まれ、そして何も残さずに露のように消えゆく自分…、栄華をほこったように見えたけれども、本当は夢のように何も残らなかった人生だった…。

 私は上記のようにこの辞世の句を解釈します。少し秀頼をないがしろにしすぎな解釈なのかもしれませんが、まあこういう解釈もあると思ってください。私は、秀吉が「自分には種が無い」と悟りきっていると考えていますから。
 全体的にエネルギーのある山岡版太閤記ですが、ラストは何とも切ないものです…。歴史小説は基本的にラストが切ないものですが、ずっとエネルギーの多い人生を送ってきた秀吉と最後の悲壮な姿の秀吉とのギャップにより、他の武将達よりも切ないものだったように感じました…。
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徹底図解 豊臣秀吉―日本で一番出世した男の常識を破壊したその生き様 徹底図解 豊臣秀吉―日本で一番出世した男の常識を破壊したその生き様
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榎本 秋

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Posted by YU