グミ・チョコレート・パイン パイン編 感想

雑記
 現在アーク3、イストワールをプレイ中。小説「疾走」もちょくちょく読んでいる状態です。
 アークザラッドの4コマ漫画欲しいなぁ~。またブックオフを巡回するとしますか。


 前作、チョコ編から8年かかってようやくパイン編は発売されました。筆者の大槻ケンジさん自身があとがきで書いてあるように、かなりの長期間ブランクがあったのでパイン編はチョコ編に比べて文体やストーリー展開が異なっています。
 グミ編、チョコ編と続けて読んだ人は違和感を覚えるでしょうね。個人的には、作者は前作の設定や文体の特徴をある程度覚えていますがそれを使う状況が違っていると感じました。前作の二つが好きだった私にとっては正直、あまり気乗りするような続編ではありませんでした・・・
 チョコ編のあとがきで作者は、「この物語に出てくる人々を幸せにするために、強引な展開にするかもしれない」と書いてあったので、それを踏まえて読むとこの物語の展開には納得するのかもしれません。しかし私にとってはやはり前作の空気が好きだったので、パイン編の急激な展開に戸惑いを覚えました。
 前作のチョコ編では、大橋賢三がついに自分のプライドを全て捨て去ろうとするところで終わり、一体どうなるのか!?とわくわくしていたのですが、パイン編では母親の妨害により断念というあっさりした感じで終了。
 次は美甘子と羽村のセックス報道によってケンゾーの自殺未遂。引きこもり生活の後、ジーサンとの修行・・・と続いていきますが、やはりここでも違和感が。ジーサンのケンゾーに対する説法は確かに間違ってはいないものだとは思いますが、心が揺れ動く思春期で「はいそうですか」と素直に受け止めることができるのでしょうか?ジーサンがただの説教好きの大人のように思えて、彼に共感したりすることができませんでした。そんな説教ができるのなら、自分の孫にもやってろよなあ。
 その後は美甘子と羽村の関係の悪化。美甘子の女優としての化け物じみた才能の覚醒により、羽村は彼女に対して恐れと焦りを感じていくようになります。そして美甘子は芸能界に入ってきた当初に比べて、遥かに自信を持つようになり、女優として出来上がっていきます。
 この構図に関しては、なかなか面白いものがあります。これまでずっとちやほやされてきた羽村が、美甘子の才能をセックスにより開花させることで、人々は美甘子ばかりに注目するようになって彼女とは対照的に羽村は注目されなくなってきます。芸能レポーターの彼に対するぞんざいな扱いにキレた羽村は、美甘子との濃厚なセックスをばらしてしまいます。本当のことなのに、美甘子は彼のいったことを「妄想だ」と言います。それ以降羽村には薬物中毒のレッテルが貼られる始末・・・
 正直羽村がかわいそすぎると思います。これまで愛していた美甘子に見捨てられ、ジーサンからは「人気に執着した結果」だと言われ、ケンゾーを始めとする美甘子を愛する人々から殺されそうになるほど恨まれて、芸能界からも干され、そしてこの物語の悪役として描かれます。
 個人的には、羽村は全く間違ったことはしていないと思います。彼が秘密をばらしたのも、芸能レポーターが彼にぞんざいな扱いをして彼を悪役に仕立て上げたのが悪いのですから。美甘子も彼に対して「これで最後だからね」なんてことを言って、これまで世話してもらった彼を捨てるような発言もするし。同じ状況なら私も同じ事をしたでしょう。
 それからの物語ははかなり急速に進んでいきます。全くグミチョコレートパインらしさは無くなっていくのですが、すいすいと読めていけるのでこれはこれでまあ面白い小説だと思います。私が大好きなあの悶々とした感じは無いのですけど。
 そして物語はクライマックスへ一気に駆け抜けていきます。その描写はケンゾーが見ていた映画のようなワンシーンで、物語の幕は閉じます。その後には、映画ではスタッフロールが流れながらエピローグが流れていくように、この物語に出てきた登場人物一人一人のその後が描かれます。それがまた突拍子も無いほどに超展開です。
 パイン編を総括すると、共感できたのは羽村だけしかいねーじゃないか!
 ケンゾーは周りに流されるだけになっているし、ジーサンは説教臭くて嫌だし、カワボンとタクオと山之上はもはや空気だし、美甘子はかなり空気と人の気持ちが読めないうざい人間になっているし。青春小説なのに、アイドルにしか共感できないなんてどうなんでしょうか?
 文庫版では解説がありますが、それがなんと滝本竜彦!私の大好きなハゲ小説家です。
 要約すると、たとえ素晴らしい物語を読んでも自分の人生は改善されない。自分をどうにかするのは自分自身が行動するしかありえない。といった感じです。いつまでたっても滝本はうだうだして悶々としているな~と、この小説を読んだ後はそのことで少し笑えます。彼がひきこもりであったからこそ、このような感想を抱いたのでしょうね。
 大事なのはやはり行動をすること。グミチョコレートパインで作者が言いたかったのはそのことでしょう。映画を見て、小説を読んで、音楽を聴いて感動を蓄えても、それを行動に生かさなければその体験は無意味なものとなってしまう。だから、「俺はダメだな~」と思っている人は、何か行動を起こすべきだ。たとえそれが「チョコレート」ではなく「グミ」の連発だとしてもね。
 
グミ編
チョコ編

グミ・チョコレート・パイン パイン編 (角川文庫) グミ・チョコレート・パイン パイン編 (角川文庫)
(2006/11)
大槻 ケンヂ

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Posted by YU