東海自然歩道歩行記録① 東京都高尾山~静岡県大井川 

東海自然歩道、東京高尾山から静岡大井川へ / YK1989さんの畦ヶ丸山足和田山(五湖台)紅葉台の活動データ | YAMAP / ヤマップ

2023年12月24日(日)から2024年1月4日(木)の11泊12日で、東海自然歩道を歩きました。

東海自然歩道とは、厚労省が提案し各都道府県の協力下で1973年に完成した、東京都高尾と大阪府箕面を繋ぐ全長1,697kmのロングトレイル。
アメリカのアパラチアントレイルを参考したよう。

なおコースには分岐もあるので、基本的には「山中の最短コースをとる」ことにして、自分は一筆書きで踏破を目指します。

歩こうとしたきっかけ

昔、「愛知県の山」記載の山を踏破しようとした時に東海自然歩道を知りました。

これらの山の中には東海自然歩道に含まれる山があり看板も立っており、「何だろう?」と疑問に思って調べたことで東海自然歩道が東京から大阪まで続いていることを知ったのです。
それ以来「いつかは東海自然歩道を踏破してみたい」と思うようになったのです。

それでこの度、「年末年始に有給休暇とればかなりの長期間歩けそうだ……」ということを発見し、歩き始めることにしたのです。
基本的に私は全国の300名山を登ろうとしていますが、年末年始に登れる山は少ないしね。
どうせ大してやることない年末年始、運動と精神修養を兼ねて行くことに決定。

でも仕事を2週間ほど前倒しでやったのは大変だった……。
なので歩き始めの序盤は仕事のことが頭に入ってあまり集中できなかったという。

地図

東海自然歩道のデジタルデータが公開されていたので、自分で歩くであろう線を編集。
それを地理院地図にアップロードして、10m等高線が表示される縮尺で表示して印刷して持参。
A3の紙両面印刷で、8枚持っていきましたよ。
この印刷した紙に、コンビニ、スーパー、ホームセンターの場所を調べて記載。

 

一応、今回作成した線データを公開しましょう。

ここをクリック(KMLファイルダウンロード)

このKMLファイルは以下のように、地理院地図にアップロードすると表示できます。
別の地図ソフトがあればそちらでも大丈夫。多分GoogleEarthでも読めるかな?

 

主な準備物

  • 70Lザック
    →スーパー買い出し後はパンパン、容量ちょうど良し。
  • テント:アライテント エアライズ2
    →全日テントで野宿。整備されたトイレは案外多い。水は山水で。
  • ダウンシュラフ:イスカ ニルギリEX(最低使用温度-15℃、1,270g)
    →標高1000mでも特に寒くなく。
  • ダウンジャケット:モンベル アルパインダウンジャケット
    →この下に最大3枚着る。寒くない。
  • 軽アイゼン:4本爪
    →一回も使用せず。
  • 燃料:プリムスの赤缶500+250
    →500を2/3ほど使用しただけ。250持ってきたのは過剰。道中のホームセンターやモンベルショップでも買える。
  • 食料:5+1日分持参。
    →東京高尾から山梨富士吉田までスーパーなし。多め。
  • モバイルバッテリー:10,000+20,000mAh
    →約20,000mAh分使用。予備考えたらこんなものか。
  • 雨具
    →雪は一回も降らなかったが代わりに雨は普通に降った。年末年始でも雨具は完備が必須。
  • ソール:登山道用デフォルトのものと、衝撃吸収用社外品の2セット。

荷物の重さは計ってませんが、20~25kgほど?
夏山縦走よりは重いことは確かでした。

全体感想

四国歩き遍路(38泊39日)に次ぐ、私の人生で長期の歩き旅となりました。
しかも荷物の重さは初回単独縦走北アルプス(リタイア)に次ぐ重さ。

標高低いから舐めてかかりましたが、思いのほかきつかった……。
普通の山だったら登って山頂着いたら下って終わり、縦走でもめちゃくちゃなアップダウンはそんなに多くない。
しかし東海自然歩道は登山・下山、登山・下山を1日の間に何度も繰り返すので、累計標高差は大きい。
YAMAPの記録を見てもわかるように、登る日は約1,500mのアップダウンがあります。これを、20kg以上担いで。
テント泊なので宿泊地の自由度が高いのは良かったものの。

また、土道だけじゃなく10km近く舗装路を歩くこともあり。
登山靴はソールが硬いので舗装路歩きは向きません。なので厚めのソールも持っていく。
でもやっぱり足裏いたくなったこともありましたねえ。
マメはギリギリ出来なかったけど、痺れに近いものはあった。

東海自然歩道は様々な景勝地を繋ぐ、というコンセプトですがやっぱり基本は単調。
特に標高と緯度がずっと似たようなものなので、植生も似たようなものです。
標高1,000m以下はスギやヒノキが植えられた人工林も多く、歩きやすいんだけどどこまで行っても同じような景色です。
起きて飯を食い、テントを片付け、休憩しながら歩き、テントを張って、飯を食って寝る。その繰り返し。
まさに精神修養だ!

地質地形は大分違うけどね。神奈川では青石があり、山梨では黒ボク土と溶岩台地、静岡は構造線による険しさと水の多さ。
今回は東日本メインだったので、ハイライトは富士山。
それに並んで富士山噴火により特異な地形と地質となった富士高原全般が、今回の旅で印象に残ったところですねえ。

YAMAP計測では12日で260.8km歩きました。
歩行距離は21.7km/日ってところか。
冬に9連休とって歩くとしたらあと何回で踏破出来るんだろう……
3,4回はかかるのかな?

まあ冬に運動不足解消を兼ねて行くのが、東海自然歩道におススメの歩き方でしょうね。
標高低いし、バス停や駅を通ることも多いからどこから歩き始めてどこで終わるかはかなり自由が利きますし。

各日の日記

12/24(1日目) 高尾~石老山

夜行バスで東京駅へ。東京駅から高尾山口駅。
夜行バスは半分ほど寝られる。

不慣れと食料の多さにより荷物が重い。
高尾山登山者では縦走装備は流石に自分一人だけ。たまに「どこへ向かっている?」と声もかけられる。
高尾山はテーマパークのよう。店や景勝地が多く、登山しに来るというより飲み食いして遊ぶための場所のよう。
山頂からは関東平野と丹沢の山並みが望める。ここが都市部と山間部の境のようだと感じる。

小仏峠でなめこ汁をいただく。辛く苦しい登山にはこたえる。
ここから神奈川県だ。
神奈川に入ると人も一気に減る。看板等も少なくなる。

冬至に近いので正午になっても斜光が照らす。
1日が始まらないまま、終わっていくかのよう。

相模原は自然派な人が多そうな街並みをしている。
高尾山からうって変わって、静けさとアウトドアレジャーに満ちている。
遠くからはさがみ湖リゾート プレジャーフォレストで楽しんでいる歓声が聞こえる。

疲れてくるほどやり残した仕事のことを忘れられるが、代わりに身体的不快を感じ歩くことへのやる気がなくなっていく。
顕鏡寺を越えるとバテてくる。
良い感じの空き地に野宿。
白湯を飲んでみるとこれだけで生き返る。
飯を食べるとすぐにぐっすり眠れた。まだまだ身体が慣れてないのだ。

12/25(2日目) 石老山~黍殻避難小屋

日の当たる稜線より、日の当たらない麓のほうが寒い。
標識は非常に多く、麓にもしっかりあるので地図を見なくても迷う心配はない。
自動販売機で暖かい飲み物を飲みながら進んでいく。

この日は焼山への登りでバテてくる。
山頂は寒く、登ってくる時に汗をかいても一瞬で寒くなる。
しかし丹沢は4~9月はヤマビルがいるらしい。それを考えたらやっぱり冬に登るのがいいものか。

焼山を越えると稜線もなだらかになり非常に歩きやすい。
貴重な稜線上の水場、本当にあるのかと疑問だったが、ちゃんとあった。
とはいえ真冬なので凍りかけで水量もちょろちょろ。
稜線上で水を汲めるのはありがたい。ただでさえ重たい荷物なんだから。

避難小屋は綺麗で、前に草原が広がっている。テント場なのか?凹地だから水が溜まって木が生えないのか?
外の気温は低いので小屋内に引きこもる。
暇つぶし用にスケッチブック持ってきたけど、外出てまで描きたいとは思わず。

運動後の休息、副交感神経によるリラックス、歩き旅以外でも日常でもそういうのが必要だ。
浄土の光、春や秋に家族でキャンプするような、外は寒くても暖かな室内、広々としていながらもレトロで静かな町、これで良いんだと思える理想のシーン、せめて求めてみようよ。

12/26(3日目) 黍殻避難小屋~西沢

稜線上は木道とシカが多い。
姫次から丹沢最高峰、蛭ヶ岳がすぐ近くに見える。
姫次西側には東海自然歩道最高地点の袖平山。

丹沢中心山塊から一気に神の川へ下る。
下る時には衝撃があるのか、ザックと接している肩と腰が痛くなる。

犬越路への登りも、すでにある程度体力を使った身には応える。
谷を進むので水はとり放題、水筒内の水も最小限とする。
峠には避難小屋、ベンチも多いのでゆっくりと休憩する。
この峠で職場のLINEを確認、大した用事がなかったので安心した。

河内川沿いはキャンプ場が多い。
年末年始は既に始まっているのかお客さんもよく見える。
キャンプ場併設のレストランと売店もあり、ここで補給も出来そうだ。

宿泊は畦が丸への道中、最終水場とした。
次の日の幕営地と持っていく水量に悩む。
山中湖村の平地まで行くと野宿が出来ない。
稜線上に泊まるなら水量を多めに持たないといけない。
結局、水を2.5L持って稜線上に泊まることとする。

当初思っていたより時間はかかる。
でもYAMAPでコースタイム見ると、ちゃんと日々8時間前後のコースは歩いているよう。
荷物が重いからこんなものじゃないか。
20km/日歩けなくても良い、思ったより進めなくても途中で帰れば良い。

日々異なる状況で寝る。
ある日は尾根で、ある日は小屋で、ある日はせせらぎを聞きながら。

12/27(4日目) 西沢~高指山

いつもより重い荷物、不安だ。
最初の1時間のみ快適に歩ける。しかしそれを越えると肩、腰、脚などどこかしらを痛く感じながら歩いてゆく。

西丹沢の稜線はどこも展望があまり良くない。
落葉樹が多いから樹間から何となく見えるが、写真に撮るほどの箇所は少ない。
城ヶ尾峠付近はゆるくて楽園感はあった。

小ピークを越えては現れ、越えてはまた現れ。
ずっと登りか下りが続くよりかはバランスよく疲れるものの、精神的にはうんざり。
疲れたらベンチで休み、寒風で身体が冷えてくるのでまた歩き始める。
疲れたからもう動きたくない、とはならない。
冬が私を後押しする。

いきなりグッと疲れて体が動かない時があった。
いつもより行動食のレーズンを多めに食べると治った。
これがシャリバテなのか。

山伏峠西側に来ると急に地質と地形が変わる。
黒ボク土の火山地形、ここまで歩いてきたのかと少し感動。
今日の内に高指山までは来れないと思っていたが、来られた。
よく頑張ったよ、自分。

西陽と山中湖が美しい。
ここに別荘を建てた人が多いのも分かる。

12/28(5日目) 高指山~河口湖町

厚めのソールを履いていたが、右足が痛い。
しかし普通のソールにすると治った。
靴擦れとかもあるから厚めのソールにするのは長い舗装路歩きの時のみでいいか。
ソールの替え自体は持ってくる方が対応力高まっていい感じ。

平野のコンビニで今回の旅初めての買い物。
Lサイズのホットコーヒーと菓子パン3個買う。
「食いまくるぞ!」と思っていたが大して食べられず。コーヒーは美味しい。

平尾山、大平山は歩きやすいし展望も良くて最高。
山梨に入ってリゾートバカンス気分だ。
神奈川は泥臭かった。

長く舗装路を歩く。
森は森、宅地は宅地で明確に分かれているのが面白い。
こんなに交通量が多くて宅地も多いが、森に入れば野宿も簡単に出来そうに思える。
忍野村を歩いていたら「忍野の推しの子」というどうしようもない親父ギャグを思いつく。

富士吉田では浅間神社に立ち寄り、ほうとうを食べ、「富士山溶岩の湯 泉水」に入って汗を流し、河口湖町のフォレストモールで身延線までの分の食料を買い出し。
今日は貴重な休息日。
(結局入浴できたのは、この1回のみ)

でも職場からTELあり、まあ自分がいなくてもそれなりに対応してくれたが、仕事のことが頭に入ってしまう。
おかげで入浴中も大してリラックスできず。
今、目の前に集中しよう。その入り込みが思い出の存在感になっていくんじゃないか。
過去を思い返しても過去は変わらない。心配したって変わらない。
僕は今、東京の高尾山から東海自然歩道を歩いてはるばる富士吉田までやってきた。
山中5日目。

12/29(6日目) 河口湖町~静岡県境

年末が始まる。

五湖台への登りでは、松、富士山、朝日の3点セットの日本晴れ。
三湖台では湖だけではなく青木ヶ原の広大な樹海と富士外輪山のように見える御坂山地と天子山地が特に美しい。
富士山を見ていると、何だか周りからエネルギーを吸い取っているようにも見えてくる。

樹海の中を歩き始める。
氷穴と風穴にも立ち寄ったが、外気との気温差が分かりにくいので、やっぱり夏に来た方が楽しいかもしれない。
樹海は平地で歩きやすいが、長い。
道もコンパスもない昔だったらまさに迷いの森だったろう。
歩道から外れるとごつごつとした溶岩が広がり歩きづらい。
整地もしにくいし物も運びにくかったから、林業もされなかったのか。
昔はどうやって樹海を越えたんだろう。御坂山地の麓を辿るのが一番わかりやすそうか。

本栖湖近くの城山を登るルートをたどったが、これはミス。
城山以降はほとんど道らしい道はないし、下りに使った尾根道は破線路だが廃道となっている。

本栖湖の旧上九一色村は、何を主要産業としていたんだろう。
真水は湖くらいにしかないから農業もしづらい。
凹凸の多い場所では牧場も出来まい。
精進湖の民宿村がどのように出来たのかも気になる。

本栖湖以南は平地も多く、何もしなくてもキャンプ場になりそうな箇所が多い。
今日はそういうところに泊まる。
明日は静岡か。

12/30(7日目) 静岡県境~上佐野

初めてテントが凍る。
しかし風がないので存外寒くない。
テント内で水がシャーベット状になることもなく。

天子山地の山麓を歩いていく。
東面を見ながら歩いていた富士は、すっかり西面を見せるようになった。
ふもとっぱらはまるでフェス会場か難民キャンプのよう。年末年始の休暇で大繁盛だ。
それでもまだまだ富士山が見えなくなるほどじゃないのが、このロケーションのすごいところだ。

山麓には谷が多くあれど、どれも枯れ沢で流れる水はない。水場もなし。
しかし陣場の滝からは急に水が流れ始める。
北部で蓄えられた水がここで一気に放出されているようだ。
富士の溶岩台地もようやく終わってしまったということか。

舗装路歩きがなかなか長かったので、長者ヶ岳に登る前で既に疲れている。
登りも、上佐野への下りも、大変だった。
上佐野へは東海自然歩道だが歩く人がごくわずかだからか道も荒れている。
トラバース道では朽ちかけの橋もあり、崩れの順番がいつ自分に回ってくるか不安でもある。

上佐野に着いたときは足の痺れ、息切れ。
思いのほか大変な旅だ。
次の日は身延線井出駅を通る。
駅で天気予報を確認して、天気が悪い日が続くようならもう帰ろうかな。

12/31(8日目) 上佐野~鯨野

当初は1日に雨予報だったが、意外に今日の朝が雨となった。
予兆は妙に空気がぬるかったことはあったが、それ以外はわからず。
雨の中のテント撤収は億劫だ。

いつもよりパンパンに詰めたからか、ザックカバーのサイズが不足。
尻がはみ出てシュラフを少し濡らしそうだ。

思親山の山頂で雨はやむ。
ひたすら人工林を下って、井出駅へ。
天気予報を確認するが3日辺りが少し悪いだけ。続行する。

母からLINEで「1日は帰ってくるのか?」と連絡来る。
そっけなく「年末年始はずっと県外」と返す。
どうせ実家に帰ったって楽しくはない。だけどある、後ろめたさ。
母なんてもう家族じゃないと理性で思っていても、超自我は「本当は仲良いのが一番良いと思っているだろ」とささやく。
私はあまり他人を求めない、だけどゼロはさみしくなる。昔は家族の存在が少ない人への欲求を満たしていた。
だがそれでは家族以外を求めさせない。友人や結婚相手をハングリー精神で求めるためには、意識して家族との縁を切る。親だって結婚を望んでいるだろう、だからこの方法は正しいのだ。
と、安易に割り切れないのが人間。どんな人間にも複雑さがある、かなわない理想がある。叩いてみれば悲しい音がする。
様々な思いや歴史の下に今があり、五感で今を感じさせるこの食こそが今と現実を代表するかのよう、と道の駅で暖かいお茶とスタミナ定食を食べながら思う。

ウエルシアで残っている食料含め6日分になるように補給。
米の小分けがないのできしめんやマカロニを多めに買う。
正月らしいものは買い忘れ。

大晦日、2023年の夜は一人寂しく人工林内で。
最後の晩餐は明太子味のサラスパ。
1人だとイベントもないなあ。

1/1(9日目) 鯨野~黒川

薄暗い中歩き始める。
小さな谷でも水が流れ、富士山溶岩台地エリアとの違いに驚くと同時に、流れている水があるたびに貴重に思えて一杯飲んでしまう。

初日の出は峠を越えた先の樹間より。
当初は初日の出は期待してはいけない予報だったが、皆は無事見られたかな。
明けまして、おめでとうございます。

徳間はらしい山村。
奥山温泉までひたすら舗装路歩き。通る車は皆無。
開いていたら温泉入りたい……と思っていたが案の定休業中だった。
その後のやませみの湯も。

静岡県境の田代峠まではほぼ車道。
車道歩きと言えど長いと疲れる。
峠からは延々と10km以上下っていく。
足裏も痛く、最後辺りでは30分ほど歩くたびに休んでしまう。

東海自然歩道は舗装路も山道も歩けないといけない。
道中には店も少なく単調。水場と野宿地は多い。
ある意味、北アルプス縦走よりストイックだ。
もう少し文化的な景勝地もあるほうが個人的に好き。

何かトラブルあれば帰ろう、天気悪ければ帰ろうと思っているが、何もないのだ。止める人もいない。
自由で求められない人、不自由で求められる人。
体力増進と気分転換くらいなら、9連休までで良かったか。

1/2(10日目) 黒川~大山登山口

ポツポツとフライシートを叩く音がする。
天気が悪いのは明日からのはずだったが。明日の天気も予報されないんだ。

竜爪山へ登っていると、豪快に崩れた箇所あり。
引き返すことも考えたが、倒木を伝いながら慎重に超える。
長者ヶ岳を越えてからは水が多く崩れやすい谷ばかりだ。

薬師岳へは階段地獄。
山頂は雨で展望もないので、早々に次へ。
下りのはずだが無駄に登るところもあり、トラバースしてほしいと思った。
このやるせない怒りも修行の一つか。

安部川沿いの牛妻に降りても特に店等はなし。
茶畑の数は圧巻で、これは静岡に特異だなと感じる。

「油山ルートは崩壊」と標識にあったので、県道での迂回路を使用。
長距離舗装路歩き嫌だな、と思っていたが交差点にファミマがあるので喜ぶ。
またLサイズのホットコーヒーをお菓子と共にゆっくり飲んで休憩する。
登山しててもやっぱりたまに人里で楽しみたい。北アルプスだって山小屋で食事できるし。

この日は水が採取できる最上部の登山口で幕営。
そろそろ終わりの日が見えてきた。
あともう一泊すれば大井川沿いの家山駅だろう。
うまくいけば4日中に帰られるのか。

もし私がFIREでもすれば、このまま歩き続けて大阪までたどり着くだろう。
だがその立場になったと空想してみると、制限がなさすぎて自由がありすぎて、寂しさを感じる。
自由、制限、仕事、家庭、生きがい、役割を担うこと、自由意志、求められること、求められないこと。
何かを得さえすればそれだけで人は絶対的な幸福が得られる、そんなわけはなかった。

1/3(11日目) 大山登山口~宇嶺の滝

少し暖かい気温、飲めるだけ水を飲んでみる。
その後しょっちゅう小便することとなる。

大山山頂にて、ようやく太平洋を望む。
風はなく、下界に雲はあり、何の音もない。
3が日最終日、みんな休んでいるのか。
ただ広々とした水域が広がる。

道中はヒノキ林が多く、ヒノキを伐った時の香りがする。
ヒノキも呼吸をしているのか。これがフィトンチッド?
香りは文字に残せない。記録しにくい。だけど嗅ぐと様々な記憶が蘇る時もあるものだ。

大山からの下りは全て車道だからか距離が長く、思ったより時間がかかる。
途中、5mほどの距離でクマがいて、逃げて行った。
年末年始くらい冬も深まったというのに、クマって冬眠しないものなのか。
起きてても碌なエサなさそうなのに。

標識に「九野尾へ6時間」と書いてあったので「こりゃ今日中に清笹峠は越えられないか」と思っていたが、結果的には早めに着いて峠は越えた。
集落より上側の清笹峠への道は非常に荒れていて、崩れているところは多い。
車道開通は一体いつになることやら。

清笹峠への登りは非常に疲れたが、明日中に帰りたい思いで頑張る。
住んでいるアパートには誰も待つ人がいないというに、それでも帰ることを望むのか。
やり残した仕事も早くとりかかりたい。
この感覚が「居場所」ってやつなんだろうか。

水場のある平地を探していたら時も過ぎて小雨も降ってくる。
カッパとヘッドライトを装備してもう少し歩く。
脚や肩はもちろん痛い。だけど無理したってそれがそのまま次の日に残ってくるわけじゃあない。
そのことが分かっているから無理も出来る。

晩飯はマカロニ。
パスタ類はゆで汁問題あるが、マカロニならスパゲッティと違って米のようにギリギリの水量で戻すことも可能だ。
うどんに比べると塩分も少ないから、マカロニは登山に使えそうだ。
でもどうしてパスタは薄黄色で、うどんは白色なんだろう。
逆にうどんを薄黄色にすることも出来るんだろうか。

1/4(12日目) 宇嶺の滝~家山駅

早めに帰るため、まだ真っ暗な5時30分に出発。
ヘッドライトと月明かりの下で最後の日を歩く。
雨はやみ、寒風が吹く。

高根山は神社まで車道。
標高を上げるにつれ陽も出始め明るくなっていく。
最後にふさわしい雲一つない夜明け。

白山神社は水と豊作を奉るので手洗い場は山水が引かれてある。
ここで手と口だけでなく顔全部洗わせてもらう。
高根山山頂より先に「崩壊あり」との表示。
地図的には大した険しさでないのでそのまま進むと、小規模な崩壊だった。
普通に巻いて進めば大丈夫。

快適で静かな稜線を進むと、最後の山「笑い仏」へ。
悲しい別れの場所であるこの地を哀れんだ仏さまが人々を笑わせてくれたそうだが、「悲しい時なのに笑わなければならないことが罰のように思えて、仏様を埋めた」という結論となったらしい。
この複雑な感情が民話としては珍しくて、好きだ。

笑い仏からは西の山々と深く澄んだ冬の青空が広がる。
世界を見渡せるようなこの青空さえ見ていられれば良いって、僕はこの時もあの時も思ったんだ。
最後の山で、この感じを思い出させてくれて良かった。ありがとう。

ひたすら歩いて大井川へ。
2023年に登った光岳が見えそうだ。
こんなところに繋がったのか。

家山駅に着くとちょうど金谷駅行が着く。
料金は後払いにして飛び乗る。
最後に駅近くでお土産でも買いたかったんだけどな。
ネットで乗り換えを調べながら、無事に帰宅。
ちょっと遅れたけど、また3連休あるから大掃除しよう。

長距離歩行,登山

Posted by YU