55歳の地図 感想
55歳の地図 作 黒咲一人
2004年7月から2005年2月にかけて週刊漫画ゴラクで連載された、黒咲一人さんによる「55歳の地図」の感想を書いていきます。
黒咲一人さんは1970年に漫画家としてデビューし、以降多くの漫画を描いてきたようです。代表作は「ハスラー・ザ・キッド」「無頼風」など。ゆとりな私には聞いたことも無かったですが…(スンマセン)
そんな彼が55歳のときに四国遍路を行います。その記録がこの作品。単なる観光遍路、というわけではないようです。その理由は下で。
55歳の地図 (2013/12/06) 黒咲一人 |
副題に「実録!リストラ漫画家遍路旅」と書かれていますが、序盤を読むと世間一般的(というか私の)イメージとしては、これは『リストラ』なのか?と少し疑問に思いました。やはり漫画家と普通のサラリーマンとは違うのでしょうか。
黒咲さんはずっと漫画の仕事をしてきましたが、連載が無くなり、漫画家的に『リストラ』になったようです。色んな作品を描いてきたんだから印税による安定収入もあるだろう…と素人には思ったのですが、生活出来るほどくらいの額にはならないんですかね。というわけで、ここでの『リストラ』というのは、連載打ち切りのことのようでした。
黒咲さんはその後ハローワークにも行って仕事を探しましたが、高齢+漫画家上がりというわけで、中々見つからなかったようです。で、放浪の旅に出てみることにし、何もあてが無いよりかは、ということで四国遍路をすることにしたようです。
あまり湿っぽい演出を長々とせずに、淡々と家の物全てを処理していくシーンは切ないです…。自分の原稿もほぼ全て捨ててしまいましたが、他の漫画家から「原稿は漫画家にとって命より大切なものだ!」と怒られていました。寄稿しようとしたら断られたから、しょうがない行為かもしれませんが、やっぱりそういうのって当人にとっても周りの人にとっても辛いよなあ…。
ボロボロの3輪車に20kgの全財産を積み、暮らしていた部屋も解約して旅へ出ます。かの有名なイージーライダーの腕時計を捨てるシーンよりも遥かに重い印象を受けます。もう帰るところなんて無いのですからね。端から見ればまるで『死出の旅』にしか思えません。(元々四国遍路は死を覚悟して行うものでしたが)
どうにかこうにかしてようやく1番寺の霊山寺にたどり着きますが、それまでに苦労しまくっていたからか、この時点ですでに風貌がやばい感じでした。しかしその後、優しい人々に出会い、助けられながら苦労しながら、四国遍路を行います。そんなあらすじ。
四国遍路中での事件とか文化とか生き方とかがよく描かれています。もちろんその中での気持ちの動きとかもよく描かれていますが。私も以前、四国遍路を行いましたが、ここまでサバイバル的にはしませんでしたね。お供え物を(勝手に)頂いたり畦にある野菜類を(勝手に)もらったり、灰掻きの手鍋を盗んだり。お遍路はよくお接待されますが、そんなことされるほど良い人間では無いと思います。私も含めて。
黒咲さんは多少遍路道を外れてでも公園のような良い場所を見つけて野宿することが多いようでした。私は道路脇の空き地によくテント張って寝ていたけど、あまりしないほうが良かったのかね?
という風に、読んでいくと私も四国遍路のときの思い出が甦ってきて、中々読み進めませんでしたw「自分だったらこういうときはこうしたなあ~」とか「あっ、そこは自分も苦労した!」とか。そういう意味では、歩き遍路をしたことがある人にもしたことがない人でも楽しめる漫画でもあると思います。
基本的に私は人間嫌いですが、四国遍路のときに受けたお接待を思い返すと、あまり深く人間嫌いになることは出来なくなりました。黒咲さんも旅を終えて、四国遍路で出会った人々や旅立つ前に心配してくれた漫画家仲間の繋がりの良さを再確認して、彼は新たな意味での巡礼を始めることになります。
黒咲さんはこの後旅に目覚めて、チベットやアフリカに行くことを目標としています。お遍路前はまるで死人のような考えを持っていましたが、今ではかなり生き生きとしている感じを見受けられます。やっぱり四国遍路は、単なる仏教的な意味だけでない価値を持っていると思います。
しかし、こういうノンフィクションのストーリーとかでは、劇画調の作画は合いますよね。こんな漫画技術を持っておりまだ漫画を描きたいと思っているのに、描けないということは漫画ファンとしては納得できませんね。そう言えば赤松さんがJコミというサイトを開設していますが、この漫画がその開始理由の一つにもなっているかも?→(出典)