漫画版ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編,、8巻 感想&総括
雑記
暇を無くせば無くすほど、時間が経つのが早くなるけど、充実度は上がるような気がする。
でもふと思う、これでいいのかと。
ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編(7) (ガンガンコミックスJOKER) (2011/04/22) 竜騎士07 |
ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編(8)(完) (ガンガンコミックスJOKER) (2011/08/22) 竜騎士07 |
梨花と鷹野の戦いも佳境に入ります。この巻にある、富竹奪還と救助要請が勝利の決定打になっているでしょう。死者・重傷者無しで勝利条件を果たしたのです。
7巻では前巻に引き続いてアクションシーンが描かれます。富竹奪還の詩音メンバーの戦いは基本的に良い感じなのですが、ずっとシリアスが続いていたのに入江のメイド談義とは…アレ、明らかに場違いじゃねえの!?
梨花を囮にして裏山に逃げ込んだ部活メンバーですが、当初の目的はただの時間稼ぎだったのに、山狗たちを返り討ちにしてしまうとはね…。正直、山狗弱すぎじゃねと思います。いくら地の利と罠とコンビネーションがあったとしても、装備と体力で勝る山狗に余裕で勝ってしまうのは、ファンタジーにしか思えないです…。
鷹野が「目的の達成後の自分」について吐露するシーンがありましたが、このシーンは印象的です。祭囃し編では鷹野の心情に特に重きを置いて描写されていましたが、ここにきて彼女の心の深遠を見たような気がします。
自分を救った高野の悲願を成し遂げた後、彼女にはもう何もありません。生きる目的も無く、作戦が終わったら不自然な事故で死ぬだろうとも考え、それを受け入れています。富竹のことが好きそうだけど、彼女の今の状況から、一緒になることも難しい…。
何だか、寂しいですね…。皆殺し編では欲望に忠実なラストボスのように描かれていたけど、結局その後は何も無く、不幸な自分に舞い戻るだけなのです。不幸が不幸を呼ぶ、負の連鎖になっていたのでしょうか。
7巻でほぼ勝利が決定したので、8巻では全面戦争の詰めとエピローグが描かれます。
魅音VS小此木では2chなどでよく貼られるコピペのセリフも登場しますが、漫画版ではあのコピペラストのセリフが「こんなヤツが隊長だったんじゃ、勝てるわきゃねえやな…」となっており、若干雰囲気が異なっているようでした。「口先の魔術師~」の魅音のセリフとラストの小此木のセリフには深い間があって、小此木のセリフはそのままの意味ではないように私は思いました。
つまり、小此木は魅音たちの単純な戦闘力だけを評価しているのではなくて、それに加えて楽しいことに全力を尽くし仲間を想う子供のような純粋な気持ちも一緒にあったことを評価していたんじゃないかと。小此木や鷹野にはそういう気持ちなんて一切存在しませんからね。確かにあのコピペはあの文章だけ見れば少し痛々しいですが、前後関係を把握すれば結構良い文章だと感じます。
でもま、やっぱり部活メンバーが山狗に無傷で勝利するのは、いささか虚構過ぎるような…。せめてジリ貧で、あとほんの少しで殺されるってところで番犬部隊到着が妥当なんじゃないかな?
梨花の独白に「ひぐらし」で最も伝えたかったことが表れていたと思います。それは、
「罪を受け入れよう。そしてみんなで赦そう」
この思想、そしてそれを表現するためのひぐらしシリーズ全般の演出などについては、またいつか書くであろうひぐらし総括記事で書きまくるつもりです。
ラストのエピローグは長編物語としては定番の演出だけど、やっぱりカタルシスがあって、読んでいて気持ちが良いです。特に漫画版ラスト数ページではほとんど大ゴマで占められており、何だか長編RPGのエンディングを見ているようでしたよ。流れるようにキャラが登場し、流れるように締めの言葉も書かれていて。
色々細かいことはあるけど、終わり良ければ全て良しです。いやホント。
ひぐらしシリーズ本編のラストを飾る、この祭囃し編。本編8作の内、唯一雛見沢の多くの住人がハッピーエンドで終われる作品となっています。一番最初の鬼隠し編から多くの謎と伏線を張りながら、そしてゆっくり謎の解明をしていっていましたが、今回にきてようやく(多分)全ての謎が明かされることとなりましたね。
前編である「皆殺し編」ではひぐらしの惨劇回避の重要なファクターであろう、「みんなに相談すること」においてはかなり頑張っていたのですが、最後の最後でバッドエンドとなりました。皆殺し編を読んだときには、「梨花が生き残るには一体何が必要なのか…」と軽く絶望し、これこそがひぐらし最後の謎なのではないかとも考えましたよ。
で、結局必要だったのは何だったのでしょうか。奇跡を信じる心?信じる心は言わばやる気みたいなもので、間接的要因になったとしても直接的要因にはなりえません。じゃあ何が必要だったのか?と考えるとやっぱり、「奇跡」が必要不可欠だったのではないでしょうかね…。入江が詩音に助けられたのも、山狗が裏山では奇跡的に弱かったのも、鷹野の放った銃弾が誰にも当たらなかったのも、全部奇跡のおかげじゃないか。
う~ん、もしかしたら私の思う「奇跡」と竜騎士07さんの思う「奇跡」には、少し認識の違いがあるのかもしれない。私にとって奇跡とは、プラスに作用する偶然だと思っているのですが、ひぐらしの「奇跡」にはもっと深い意味があるかもしれない?
アクションシーンとかには少し苦言もありますが、それ以外のシーン、つまり鷹野や入江の過去やエンディングは大変素晴らしいものだと思いましたよ。特に漫画ラスト数ページの演出はかなりのお気に入りです。たまにバランスが崩れた作画もやっていた鈴羅木かりんさんも、かなり上達しましたね。ようやった、ようやったわ…。
入江の過去、そして漫画あとがきで描かれていたメイド好きの理由から、かなりお気に入りのキャラになりました。
ラストボスである鷹野の過去、今の心情、そして将来が描かれていましたが、全てを知ってしまうと同情の念も湧いてきます。皆殺し編ではただの悪にしか思えなかったのにね。
鷹野が惨劇を引き起こした決定的要因を探そうと思いましたが、それは無駄な行為なのかもしれません。両親が事故死していなければ、孤児院で凄惨な待遇を受けなければ、高野に出会わなければ、高野の論文が踏みにじられていなければ、鷹野の心情を汲み取ってくれる善人がいれば…。
そういう偶然の積み重ねによって今があるわけです。じゃあそういう不幸な偶然が起こってしまえば、もう取り返しは不可能?いえいえ、そんなわけではないでしょう。このひぐらしで示されたとおり、強い意志を持って目的を果たそうとしたり、みんなでみんなの不幸を分け合えば十分緩和出来るのです。
生きていると不幸や罪はいくらだって降りかかってきます。大事なのは、それをどうやって対処して緩和するか。みんなで分け合おう、みんなで赦そう。そうすれば、孤独に泣いている人も、罪にまみれた人も、良い方向に向かっていくのかもしれませんね。(投げっぱなし)