漫画版ひぐらしのなく頃に礼 賽殺し編 感想

2020年5月14日

ひぐらしのなく頃に礼 賽殺し編    原作 竜騎士07 作画 鈴羅木かりん
 本編完結編「祭囃し編」の後日談である、「賽殺し編」の感想を書いていきます。
 漫画版作画は鈴羅木かりんさん。思えば、「漫画版ひぐらし」と言えばこの人となったような気がします。鬼隠し編、罪滅し編、祭囃し編ときて、これですからね。始まりから終わりまで、よくやりましたね…。

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(2011/12/22)
竜騎士07

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IMGP4257.jpg すでに謎らしい謎、課題らしい課題は全て祭囃し編で解決したわけですから、その後日談はみんなのキャッキャッウフフな幸せを語るのか?と思っていたら、そうでもありませんでした。
 あらすじは、所謂「幸せな時代」を生きる梨花が、雛身沢の人間にいるあらゆる人間の罪の無い、ある意味「幸せな世界」に行ってしまう、という感じです。
 雰囲気はこれまでのひぐらし世界とは全く別物な感じです。今までは「ホラー」とか「熱血」とか「悲哀」とかが感じられるものが多かったのですが、今回はそれらの要素がありません。例えるなら、今までのひぐらし世界が天気や気温が激しい「夏」だとすると、今回は「秋もしくは冬」のようでした。
 そうですねえ…、この編から感じられる雰囲気を表すとすると、「慈愛」や「郷愁」となるのでしょうかね?とりあえず、落ち着いていて、安定しているような感じ。
 あらゆる人間に罪の無い(当社比)雛身沢っていうのは、なかなか面白いものでしたよ。本編で核となるものが無ければ、こういう世界になっていたんだなあ…って。
 しかし、ダム反対運動が過激化しなかった要因って何だろう?と私なりに考えたところ、おそらく高野の研究が功を奏して、雛身沢症候群の発症が抑えられ、過激になりすぎる人がいなくなったりしたことなんでしょうか。真相はわかりませんが。
 これまでの「ひぐらし」での梨花のループする能力は、単に「雛身沢の可能性の世界を見せて、ゆっくりと謎の解消を行っていく」という演出にすぎませんでした。が、この編ではその設定こそがストーリーにおいて最も重要なものとなりました。
 賽殺し編は、「セカイ系ファンタジー」です。が、ひぐらし本編に含まれていた(メインテーマにはなりえない)ファンタジー要素に決着を付けたという意味で、まさしく「ひぐらしのなく頃に」の最後を飾るのにふさわしいものとなっていたと思います。
IMGP4256.jpg これまで梨花は、すぐに諦め、すぐに「死んで次の世界に行こう」という考えを持っていました(皆殺し、祭囃しは別ですが…)。「やり直しが効くから、頑張らない」と。
 が、やり直しなんて出来ないのが当然なのです。だからこそ人間は「生」を実感できるし、全力で行動できる。そして、決して覆せないと思われる「運命」なんてことも知覚することは絶対に不可能です。梨花はループしていたからルールx,y,zの存在を認識出来ましたが、本来はそんなルールを発見することも不可能です。運命とそうじゃないものの区別なんて出来ない、だから人生において何度も選択のときがやってきて、悩む。しかしその選択と悩みこそが、必死に生きていく活力にもなるのかもしれません。「神とサイコロは、無口でいい」
 
 ラストシーンは最高に余韻のあるものでしたね。「ハッピーエンドォォォォ!!」ってな感じは全く無く、これからの長い長い新しい戦いの日々に備えるかのように、ただ、おやすみなさい、と。
 
 ひぐらし本編は8本構成、つまり最低でも8つの世界があったというわけですが、ハッピーエンドらしき祭囃し編こそが正史でありそれ以外の不幸な物語は全て必要ない、とは個人的に言えなくなりました。過去に幸福や不幸があるから、今がある。過去の不幸を反省して今に活かしても良いし、そうしようと思わなくても知らず知らずに今に繋がっている、と。
 ファンタジーがファンタジーの中で完結するのではなく、現実に還元されてきたという意味では、セカイ系ファンタジーとかそんなの問答無用で、賽殺し編は美しく無駄の無い最高の物語だと、私は感じました。そしてこの感動は、今までのひぐらしがあったからこそ、得られたものなんでしょうね。
 
 「ひぐらし」よ、さようなら、お元気で。

漫画

Posted by YU