がじぇっと 感想 総括

ここでは私ががじぇっとについて思ったこと全てを書いていくつもりです。
この記事を書ききれば、私の中にあるがじぇっとへの思いは全て吐き出されることになるでしょう。
それが終われば私のがじぇっとは、完結します。どうかこの物語に終焉を。


 私がグルグルを読み終えたのは、最終巻が発売されて何年か経った後なんです。読んだ後にもっと衛藤先生のことを知りたいと思って、ネットで調べていたらがじぇっとに行き当たったのです。
 前評判ではグルグルとは違うが、良作である、と聞きました。絵柄はグルグルの最後と似ているらしいというのも。個人的には、グルグルは初期の絵柄のほうが好きだったんですが、がじぇっとはあまりギャグは出てこないので、ファンタジーと温かみがあるこの絵柄は見事にマッチしていました。なんていうか一言で言うと、温もりですね。ぽっちゃりした顔、低頭身の体、現実に出てきそうなリアルな服装、これら全てががじぇっとのストーリーを引き立てているような気がします。
 
 後絵に関して言っておくべき事は、背景ですね。私はこの記事を書く前に何度かがじぇっとを読破をしていたんです。しかし今回、記事を書くためにこの漫画を隅々まで味わうために、ゆ~~~っくり読み、その結果この背景の美しさに気づいたというわけです。グルグルはファンタジーですのでファンタジーっぽい背景ならいい、というわけでそんなに着目していなかったわけですが、この漫画は現代を舞台にしたおかげで、グルグルにはないリアルさを背景で醸し出してくれたのではないでしょうか。私は始めて衛藤先生がこんなに背景を書き込む漫画家だと気づきましたよ。単に上手いだけではなく、この漫画の季節は夏!!夏ほどなんでもない場所に、切なさを感じさせてくれる季節はありません。その二つの相乗効果はあったでしょう。たとえば、帰り道の夕焼け、月の出ている夜、入道雲が水平線上にある夏の空、・・・まだまだありますが、後はコミックスを見ている人なら思いつくでしょう。
 この記事を書いているのは5月、これから夏が来ます。その夏に私たちはどんな不思議な体験をすることができるのでしょうか。これまでは、暑苦しくて蚊の出てくる夏はあまり好きじゃなかったんですが、この漫画を読んでからは夏という季節に切ないという感情を持って少し楽しく過ごせることが出来るかもしれません。
 話は変わって、ガジェットにはこんな意味があります。道具、装置、仕掛けのこと。この漫画のタイトルである、「がじぇっと」もそのような意味でしょう。この漫画に出てくるビビリアンは、機械として安定するとがじぇっとになります。その安定する条件とは、飼い主を見つけること。ビビリアンは野良機械でありますが、飼い主を見つけたビビリアンが再び野良機械になることは、「リセット」されない限りはないでしょう。つまり野良だと言っても、機械はやはり人間の役に立ちたいという思いがあるのではないでしょうか。
 確か天地創造にでてくる道具屋のおっさんがこんなことを言ってましたね。
 「どんな小さな道具だって人の役に立つために作られている。(後略)」
 そうなんです!機械は人に作られ、人の役に立つことが使命です。そんな機械が飼い主を見つけると安定するのは至極当然のことでしょう。
 そんな人に優しい機械たちを人を傷つける為に使用するのは、機械が許容しなかったのでしょう。だから最後、リセットされ、消えていった・・・。あるひとつの命題しか持たないがじぇっとには、人間たちはまだまだ貪欲にみえるのかなぁと思ったり。
 
 機械と人間との共生、その希望はいつからあったのでしょうか?第2巻のところでも書きましたが、そのような思想が日本で育まれてきたのは、民族性と手塚先生の存在が大きいのではないでしょうか。この漫画では機械と共生する世界をこう書き表してあります。夢の未来と。その世界では、機械は兵器として使用されず、単純に人間の役に立つような存在であると思います。現代社会では、機械は犯罪に使われたりしています。がじぇっとが存在する社会とは真なる平和の社会なんでしょうね。それこそが夢の未来。
 この漫画はがじぇっとというタイトルですが、テーマは機械のことだけではありません。読めば分かるように、少年少女の揺れ動く心、というのも大きな要素であるでしょう。一番最初の、鳥賀が多来への思いを寄せる場面では、一気にこの漫画に引き込まれましたよ。私の中学時代も好きな子がいて、でも結局告白は出来なくって、そのような淡い思いを思い出して妙に切なくなりましたね。そんな私のリアルのことを思い出させるぐらい、衛藤先生は少年少女の心情を描くことが上手いというわけでしょうか。この漫画に出てくるキャラクターたちは本当にリアルです。ちょっとしたことに悩んだり、後一歩を踏み出せずに戸惑ったり、時には相手のことに腹を立てたり。
 思春期というのはたくさんのことを経験する時期です。嫌なこともたくさんありますが、まだ心は成長しきっておらず、それらに耐えることは大変な負担になるでしょう。だからがじぇっとはそんなに傷つきやすい時期の女の子たちの元に行って、彼女らの負担を軽減してあげたのでしょう。
 思春期では色々な経験をする、と書きましたが、経験をすることによって自分自身が変化しますよね。その自分の見る目が変わると世界も変化するでしょう。登場人物たちはこの物語全体のなかでいろいろなことを経験し、変わったのでしょう。そのきっかけはいつだって自分自身がした選択で、そのおかげでプレッシャーもかかることになるでしょう。経験をすることによってころころ心も変化し、固定された状態に落ち着くのは少し先のことになります。最後の言葉、
 次のスイッチを入れるのは誰だろうか。そのとき世界はどんなふうに変わるのかな。
 浮遊するぼくらの心は今日もあのがじぇっとに乗って下界を見下ろしている。

これはその思春期に起こる主要な出来事を、詩のような感じで上手く言い表した言葉だろう。私はこの切ない感情と一緒に、この言葉を心の奥にしまって、がじぇっとの感想を終えることにします。
がじぇっと1巻 感想
がじぇっと2巻 感想
がじぇっと3巻 感想

漫画

Posted by YU