漫画版グミ・チョコレート・パイン 総括
雑記
朝~昼で1.5Lのポカリを飲みきってしまう…
汗出まくっても水分補給はしっかり行っているけど、なんか本当にこれで身体が耐えてくれるのか不安になるなあ…
総括
さてさて、せっかくの総括記事なので、賢三の成長っぷりを追ってみましょうか。
①賢三は最初、周りの人間を「何も感じず、何も考えずに、流行を追っている馬鹿なやつらだ」と思っています。そして、周りの人間の人生を考えずに、高校生活だけで見える彼らの側面を彼らの魅力全てだと思っています。
そして、自分とタクオとカワボンは高校のやつらとは違っていて、「自分たちは何か大きなことを出来る特別な人間であり、そのために努力も惜しんでいない」と思っています。映画を見まくったり小説を読みまくることなどは、彼らと差別を図りたいからそうしているのです。ただ、コアな趣味を持っていたがために、「自分は他人とは違うのか?」という想いを持ってきた可能性も大アリです。そして、コアな趣味を持っている自分達を「物事をわかっている人間だ」とも思っているでしょう。
②しかし、そんな賢三が、美甘子や山之上と出会うことにより、その自尊心と世間の無知さが変化してきます。
賢三は美甘子の素晴らしい知識と考えに刺激され、「いっぱい映画を見たり小説を読んだりして、美甘子に追いつこう!」と考え始めます。そして美甘子に恋のような俗っぽい考えも持っちゃいます。
しかし、賢三が必死に頑張っていたのにも関わらず、山之上の詩を見た瞬間、「自分には才能なんて無かった…」と思い知らされます。ここで賢三の自尊心は完全に破壊されてしまい、自分は凡人同然もしくは凡人以下だと諦観します。
自分は凡人ではないということを理由に見続けた映画や小説ですが、自尊心が消滅してしまったためにその理由も映画や小説を見る理由も消滅します。賢三は、自分の全てに絶望し、自暴自棄になります。
③賢三は「映画の見納めだ」と言って、映画を見ますが、そこで彼は覚醒します。「音楽も映画も小説も好きなんだよ!」と。つまり、賢三は「凡人と自分は違う」ということだけが映画や小説を見てきた理由では無いのです。ただ単に、好きだ!という理由もあったのです。ここで、賢三は殻を破り、自尊心のためだけでない行動を開始することになります。
自尊心を捨て去ることで、賢三は一歩大人になり、現実が見えてきます。行動しない夢を持つのではなく、努力して行動する目標を持つようになりました。美甘子を追うことだけを目標とせず、自分が本当にやりたいことをやるためにバンドを頑張ることになります。
賢三の前向きな考えはバンド全体にも影響してきて、バンドが将来のことなどで空中分解しようとするときに、「やりたいことを本気でやって完全燃焼させる」ことを提案します。そしてバンドメンバーは一致団結して、自尊心なんて関係なく、自分達のやりたいことを本気で成し遂げます。
賢三の成長っぷりを見ると、まさにこの漫画は青春どストライクですよ。
自尊心で固まっていた少年が、自分の本当の力量に気づき、それを踏まえて全力で行動するようになる。それこそがまさに、立派な大人ですね。自分の力量に気づいて腐るのではなく、全力で行動するようになっていますから。
普通の青春ものは、「自分は駄目かも」→「でも頑張る」というような進行です。しかし、それだけでは個人的には少しリアリティーが無いというか、ただ「頑張る天才」を描いたようにしか見えません。この漫画と小説はそうとは違い、「凡人が頑張る」ことを描いているように見えます。天才ではない凡人が頑張ることを描くことによって、共感できるし、この漫画で言いたいこともすんなりと受け入れることが出来ました。
小説版では、「正解を言う人」が出てくるので、どうしても主人公の心情が引っ張られているような気がして、本当の「成長」を見ることが出来ませんでした。やはり、一人一人が気づき、正解にたどり着くことこそが、「大人」になるっていうことなんじゃあないでしょうか。
周りに大きな才能を持って飛翔していく人間がいたとしても、欲張って「チョコレート」で一気に進むのではなく、ゆっくりと「グミ」のペースで歩いていけば良い。
ゆっくりと、確実に、先へ進め
そんなメッセージを、この漫画から私は受けました。
ありがとう、佐々木さん、大槻さん。私はこの漫画から大いなる活力を得ました。
1~3巻
4~6巻
グミ・チョコレート・パイン(3) <完> (講談社漫画文庫 さ 10-3) (2007/10/12) 佐佐木 勝彦、清水沢 亮 他 |