今までを振り返るとそこには、

 この記事は完璧に私個人のことです。
 「俺には不要な情報だ!」と思う方は見ないでね☆


 自己紹介ですら自分の年齢を明示していませんでしたが、今回の記事で私の年齢丸わかり。今まで自分をなるたけ出さなかったのは、私の文章を「大学生が書いた文章」という風にジャンル分けしてほしくなかったからです。
 
 まあ、自分の人生を俯瞰的に見たいとか参考にしてほしいとか思ったので書くことにしました。後半年ほどで就職活動をすることになるのですが、「面接ではこんな質問がくるんだろうなあ~」と予想していろんな質問に対する答えを考えていたのですが、そのときに必要になったのはやっぱり、自分がどう生きてきて、そしてどう生きようとしているのか、ということ。
 ということで、ここ数年の自分の人生をちょっと整理してみます。
大学志望動機
 私は某大学某学部某学科に進学したわけですが、その動機は、
①自分の偏差値に合っていたから。
②自分がなんとなく好きなものを扱っている。
③その学科に行っても将来が限定されるほど専門的ではなく、どちらかというと総合的。
④何となく「研究」に憧れた(今から思うと、あのときの自分は夢中になる・信じられるものを持つということそのものを求めていたのだろう。研究者が良さそうだと思ったのは、研究者は研究のために自分の人生捧げるほど熱中しているように見えたから。)
 というように、将来は何をやりたいかだなんてことは全く決まっておらず、その答えを先延ばしにしようとしていたため、大学志望動機はかなり曖昧なものでした。「将来これがやりたいからここに来た!」ていうのではなくて、「とりあえず行っときゃあ、何か見つかるだろう」として、楽観的・無気力な理由でやってきたわけです。
1~3年生
 住む場所は大学寮にしました。寮と言っても相部屋ではなくて個室です。ユニットバスつき。キッチンは共同です。寮に来た理由は実家が貧乏なので泣く泣く…、というわけではなくて、「寮に行けばお金の節約だけでなくて、人間嫌いの自分の性格もいくらか改善されたりするかも」という期待と目標があったからです。
 で、寮の感想ですが、正直言って、他人にさらに幻滅しました…。そりゃまあ、寮内には良い人だっていたんですよ。でもやっぱり、悪い人・悪い行為のほうが私には目立っていたんですよ。具体的に言えば、自転車の駐輪場所を通路上にしたりしてめちゃくちゃ、共同で使用するリビング汚い、キッチンも汚いなど。私の進学してきた大学は世間一般では偏差値高いほうなので、私は「入ってくるやつらは頭がいいんだから、人間性もまあまあいいんじゃないかな」と思っていたわけです。しかしそれはただの幻想。むしろ期待していた分、一般人よりもひどく見えました。まあ私も褒められたものではないのですが、とりあえず、学力と人間性は比例しないということがわかりました。
 
 大学にきたわけですから、何かサークルとか部活動とかやってみようと思い、登山を行う某部活動に入りました。その部活動は個人ではなく集団で行うものです。入部した理由は、自分はもともと自然が好きだからということと、集団行動に慣れたい、いろんな人と知り合って大学生らしくなりたかったなどです。
 で、結果は、「一人で山登ったほうが面白いや」と感じて、半年で退部。集団で山に登ると、「山を楽しむ」のじゃなくて「集団を楽しむ」という要素が強くなってしまったのです。「こんなに金と時間を浪費してまで集団を楽しむだけだなんて(自分には集団を楽しむことすら出来ませんでしたが)、もったいない」とか「大学生活がこれだけで終わってしまいそうだ」と感じたのでやめました。
 さて、これで自分には他人と友好的に接触するのは学科の人間だけとなったわけです。学科の人間との付き合いは、今までの小中高と同じようなもの。大学生らしさはほぼありません。いろんな漫画やアニメに出てくる大学生活では、主人公が多くの人間と接触したりして多くの事件に巻き込まれたりするわけですが、私はどうしても集団行動を楽しいとは思わなかったので基本的に一人でいました。そういう「事件」に対して憧れを持っていましたが、でも、現実じゃあ集団行動でもなかなか無いもんだよ…。
 「一人での生活はいつだって出来る。だから今しかない大学生活では他人と接触してみよう」とかいうことを大学入学時に思ったわけですが、わざわざストレス溜めながら今しか出来ないことをするのもなあ…。確かに漫画とかに出てくる大学生活には憧れます。しかし、実際やってみると、面倒くさいわりに楽しくない…
 半年で部活をやめてから4年生になるまでは、同じような生活でした。一人で山や旅行、ゲームや小説や漫画を楽しむ、バイト、たまに学科友達と飲み会。授業中は寝て、テスト前になったら過去問入手して勉強して単位取得。その繰り返し。自分の個人的な思想上では変化が起きたりしましたが、私の周りの人間関係が変化することは無し。客観的に見れば、私は人間的に一切成長していなかったのかもしれません。
 結局、大学生活や高校生活が楽しそうに思えるのは、そこに他人が存在しその他人と自分との関係が自分の心の奥深いものを突き動かすようなものであることが必要なんじゃないかと私は思うわけです。今しか出来ないことって、つまり、「ある場にいる他人との接触」のことを言っているんじゃなかろうか…。その行為そのものではなく、その場、人間ということなのかな。
 「住めば都」という言葉があります。
 確かに私は名古屋に移り住んで、その土地で住むことに関しては慣れてきました。最初は嫌だと思っていたけど、最近はこの街にちょっと感慨深いような想いを持ってきたことは否定できません。
 しかし、人には慣れなかった。いやこれは「名古屋人に慣れない」という意味でなくて、人間全体に対することです。元々人間嫌いな感じを自分は持っていたので、「いやいや、単に他人との接触の機会が少ないから、食わず嫌いで他人を嫌っているだけなんじゃないか?」と考え、以前よりかは積極的に人との交流してみました。結果、自分の人間嫌いに拍車がかかっただけです…。
 「住めば都」というのは土地や街に適用されるだけであって、人間には適用されないのかもしれません。
4年生
 4年生では本格的に研究を始めることになるわけですが、研究者に対して憧れを持っていた私にとっては、結構期待はずれなものだったように思えます…。
 研究者と技術開発者は違う。このことをひしひしと実感しました。研究者はですね、自分の興味や知的好奇心が原動力であり、彼らの目的は「研究そのもの」なわけです。対して技術開発者は、自分の興味や知的好奇心も持っていますが、しかしそれ以上に彼らの原動力は「社会に開発した技術を適用し、社会を変える」ということなんですね。
 私がやりたかったのは、「ただ一筋に、社会に深く関わりさらに良い社会を作るという目的に向かい、それを達成するために多くの人と協力し、人類という集団の知力を活かしていきたい」というようなことなのです。
 しかし、大部分の大学の研究者は、「研究すること自体が目的」のようでした…。具体的に言うと、

  1. ①その分野での具体的な研究の進行度合いや、他の人にやってほしいようなことを体系的に全くまとめていない。

②同じようなことを研究している人たちの繋がりが薄く、学会などでしかほとんど会わない。
③同じ大学内なのに、学部などが違うだけで疎遠になり、器具の融通が利かない。(私の研究は学部がまたがるようなものなので)
④教授クラスの研究などでも、自分の研究が将来具体的にどのように社会に適用され、どのような良い結果を生むことになるのかということを重点に置いていないときがある。
…という感じです。そりゃまあ、研究者にとっても成果は重要で、出来るだけ自分の貢献が大きいように見せたいのはわかります。しかしですね、多くの研究者は国などから税金をもらっています。それなのに社会全体の幸福を最優先事項に置かないのはどうなのか?
 社会全体への貢献を考えるのであれば、研究者はもっと役割分担を考え、効率よく体系的に研究を進めていくべきだと思いますよ。そしてそのためにはもっと多くの立場の人間と関わり、効率化のために貪欲になるべきだと私は思いますね。
 そんなことを4年生の研究中に考え、「大学で研究するのなんてクソだ!」と思うようになり、大学の研究者よりも、もっと社会に密着した技術開発者のほうが良いだろうと感じるようになりました。
 卒論発表会や修論発表会でも、自分の研究がどのように社会に活きていくかを全く示していないものなども多く、「一体、俺たちは何のために研究しているんだろうか…」と、軽くうんざりしてしまいましたよ
 4年生になって少し経つまでは、研究という行為に憧れを持っていたので、3年生の時には大学院に進学することを決めていて、就職活動は行いませんでした。今から思えば、3年のときに就活やっときゃよかったー!!と後悔しています。
 この記事を見ている人の中にもし、大学3年生以下で大学院に進学することを希望している人がいらっしゃるのであるならば、私はそのような人に伝えたいことがあります。何となくで大学院に進学するくらいなら就活やったほうが良くね?
現在
 研究にやる気を出さずに、大学院は就職予備校と割り切って、就職体験みたいな活動をやろうと模索中です。インターンシップはもちろんしますが、大抵のインターンは夏休みだけなんだよな~、個人的にはもっとやりたいんだが。就職体験活動の合間に研究を行う程度にしたいと思っています。

雑記

Posted by YU