三重県神島 旅行記

三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島を、一泊二日で訪れてみました。
小さな島なので、一通り見るだけなら日帰りでも余裕ですが、今回はのんびりと時間を気にせず楽しむために島で宿泊しました。
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潮騒 (新潮文庫) (2005/10) 三島 由紀夫 |
1日目
名古屋から鳥羽まで電車でGO!
暑かろうと思いましたが、ちょうどこの日から気温が下がり始めておりまして、天気は少し悪いですが気温的には過ごしやすいものでした。
鳥羽駅から少し歩いてフェリーターミナルへ行き、自動販売機で切符を買って船へと乗り込みます。フェリーの椅子は意外にふかふかで乗り心地がよく、トイレは一つですがかなり大きくて綺麗なもので、混んでさえいなければかなり良いものでした。
この日は日曜日だった割りに、天気が少し悪いせいか、神島へ行く観光客は少なめでした。
「潮騒」の舞台として有名であり観光客の大部分もそれが目的だからか、島の至る所に「潮騒」に関する案内などがあります。わざわざ小説を読み直してどこがどこだったかを調べる必要もないくらいです。一応小説を持ってきましたが。
島のメイン集落には狭い土地に多くの家がひしめき合っており、家と家の間もかなり狭く、車が入れないほどです。そのためか、島には四輪車よりも原付や一輪車を多く見かけました。
島唯一の時計台も一応あります。こんな狭い道だけど、ここが縦方向のメインストリートのようです。
島民がかつて洗濯を行っていた場所も、ちゃんと残されています。今でもちょろちょろと水が流れていますが、渇水時期とかは水が無くなりそうだ…。
洗濯場の少し上に水が流れていました。試しに飲んでみました。う~ん、無味で生温い。
集落内には階段や坂が多く、そのためか見晴らしがそれなりに良い場所が多いです。「潮騒」にもよく登場する八代神社は、集落の最上部に位置するため、ちょっと疲れるかも。
神社の鳥居をくぐってひたすら石段を登っていくと、八代神社到着です。
島唯一の神社でしょうか?伊勢神宮を守るとか、そういう役割があったと思います。とりあえず、島民の生活にとってもかなり重要な場所でしょう。「潮騒」でも結婚式はここでやっていましたし。現代でも住民と密着してそうな感じがあって、神聖ながらも血の気の通う場所のような、そんな気がします。
神社から灯台方面の道が続いています。この辺りからは舗装路ではありません。
「潮騒」の主人公、新治がよく灯台長に魚を運んでいたりしていましたが、その道はこの道なのでしょうか。かつては松が多かったようですが、今は鬱蒼とした照葉樹林となっています。
神島灯台は三河湾と伊勢湾に入る船たちの行く末を照らしてきた、重要な灯台のようです。日本の灯台50選にも選ばれています。実際地図で見ると、神島ってすごい場所に位置していますよね。
灯台は恋人の聖地のようです…。伊良子岬のものにも伊豆のものにも福岡のものにも、全部一人で行っちまったよ!
灯台から人気の無い歩道を歩いていくと、監的哨に到着です。新治と初江がここで二人きりの時間を過ごすことでおなじみ。
綺麗な鉄筋コンクリート製です。というか綺麗すぎです。観光で中に入れるように、補修したのかね?出入りは自由です。
監的哨の内部はコンクリートで出来た部屋らしきものがいくつもあります。1階には焚き火が出来そうな穴もあったりします。屋上からの見晴らしは良く、眼下には険しい崖が…。
鬱蒼とした森林を下っていき、島東部にあるカルスト地形に出てきます。何だか神島の森林って、少し特殊な気がします。黒潮で温暖だからなのか?でも風衝低木っぽいものもあって、やっぱり変な感じを受けます。
この辺りの道にはミミズが大量に死んでいました。虫とか鳥とかはミミズ食いまくってくれよ…。気持ち悪いよ~
雨が強まってきたので、いったん集落に戻りました。今日の宿泊場所は、民宿「岬」さんですが、昼食も出来そう店なのにチェックインの14時まで開いてなかった…。なので船着場の待合所で待機したり、ちょっと集落を歩いてみたり。
神島の観光地図には、集落上部にため池っぽい記述があったのでちょっと行ってみると、単なる小さな砂防ダムのようでした。水抜き孔が無いから砂防ダムじゃないんだけど、水の少なさ具合は不安になるレベル。
民宿「岬」さんでは6畳の部屋に泊まりました。この日は涼しかったのでクーラー要らず。とりあえず雨が止むまで昼寝しました。
雨が止み、青空が顔を覗かせるようになりました!港の端くらいからは渥美半島も知多半島も佐久島なども見渡せますし、双眼鏡を持っていれば伊勢湾や三河湾の陸地をぐるりと見渡すことも出来たりしました。
やっぱり、雨から晴れへと移り変わる一瞬が一番綺麗ですよね。雲の形や光も変わっていくから、飽きません。
せっかくの良い天気を逃したくないため、カルスト地形方面にもう一度行きました。ちょっと神島小中学校に寄ってみましたが、案外大きいんですね。まあ「潮騒」のときには神島の人口は1400人ほどもいたようですから、このくらい大きい必要があったのかもね。
神島で数少ない砂浜、古里の浜でぼんやりと景色を楽しみました。このときは自分以外誰一人いませんでした。独占状態です。
空を見ていると、雲が一直線に伸びている前線が、どんどん南下していく様子がはっきり見えて面白かったです。(上の写真→↑)
時間もあるので、ちょっと靴と靴下を脱いで海に入ってみました。一人で何やってんだか…とも思いましたが、感傷的になってみたかったからいいんだよ!
古里の浜近くには少し平地もあり、地形的には水もそこそこ入手できそうな場所ですが、家はほとんどありません。どうして神島の住民は港近くでほとんどの人が暮らしているんだろうか、とよそ者が疑問に思ってみます。もうちょいばらけてもいいんじゃない…?
浜から集落へ抜ける狭い坂道は、大変雰囲気があります。こういう素掘り感のある道ってわくわくするよね!
島にはちょくちょくベンチがあります。日の入りが綺麗に見えそうなので、ベンチに座ってぼーっと待ってみました。たまに蜂が接近してきて怖かったけど。
夕日がどんどん海へ落ちていき、斜面にある家々は夕焼けで照らされます。一日が終わる。私たちが意識しなかった・知らなかったこの島でも、毎日太陽は巡る。
宿に帰って晩御飯を食べました。料理は一番安いものでしたが、海産物が多くて満足いくものでした。わざわざ鮑や伊勢海老とかのような名物を食べなくても、生活のための食事を純粋に楽しむことも可能だと個人的に思います。
テレビを消して寝ていると、聞こえてくるのは風の音とかすかなエンジン音のみ。
2日目
日の出を見たかったので、早朝4時半に起床。やっぱり漁師町だからか、すでに活動を始めている人もそれなりにいました。
このときは風が強かったため、カッパを着て町を散策。足元にはなぜか大量の蚊が群がっていたのでカッパの下も履きました。気色悪いくらい蚊がいましたよ…。
島の北東方面に延びる防波堤沿いを歩いて、日の出スポットを探しました。やっぱりこのときも自分以外誰一人おらず、独占状態でした。
空がどんどんオレンジ色へと変化していき、濃青色の夜空とのグラデーションが何とも言えない美しさをしていました。朝焼けはいいですね、何だか希望に溢れているようで。
神島は円形に近い形をしていますし、山は独立峰に近いので、どこにいてもちょっと移動すれば日の出も日の入りも綺麗に見られるでしょうね。雄大な大自然とこじんまりとした人間生活、そんな環境で生きると人はどのような心持ちになるのでしょうか。それが小説の「潮騒」?
民宿に帰って朝ごはんを食します。素朴で美味しい。
帰る時はまたもや雨が降ってきました。船が到着すると観光客がそれなりに多く、神島から鳥羽へと渡る人もそれなりに見受けられました。
フェリーの甲板から神島が小さくなっていく様子を看取ります。小さな島で、遊ぶ場所とかほとんど無いように見えるけど、ここで幸せに生きて死んでいく人がいることを、私は忘れないでしょう。
さて、今回私は所謂聖地巡礼というものをやってみたわけですが、のんびりとしたこの旅で改めて気づいたものがあります。それは、神島は「潮騒」の前から確かに存在していた、ということ。
現在の私たちは神島を、「潮騒の舞台となった島」という前提の下で観光したりしていますが、三島由紀夫が「潮騒」を書いた当時には、当たり前ですが「潮騒」は存在していませんでした。つまり、三島由紀夫が見た神島を私たちが見てみたいのなら、私たちはむしろ「潮騒」を忘れて神島を見るべきではなかろうか、と思います。
聖地巡礼というのは、一度『聖地』をとっぱらって、どうしてここが舞台と選ばれたのかということを考えてみるのも面白いものなのかなと、私は考えます。