車輪の下 感想

車輪の下  著者 ヘルマンヘッセ
 ドイツの詩人・小説家であるヘルマンヘッセが、1906年に自分の幼い頃を題材とした、長編小説の「車輪の下」についての感想を書いていきます。
 ヘッセの作家活動では詩がメインであるようですが、日本で最も読まれているのは詩ではなく小説のこの「車輪の下」です。文庫本の解説によると、日本でのヘッセ作品1位はこれですが、ドイツでは8位のようです。日本では詩よりも小説の方が受けたのか、こういう内容だからこそ受けたのか、日本の社会情勢にマッチしていて日本人に共感できるものだったからなのか、はよくわかりません。
 とりあえず、純粋に内容についての感想を書いていきます↓

車輪の下 (新潮文庫) 車輪の下 (新潮文庫)
(1951/11)
ヘルマン ヘッセ

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 「車輪の下」は、3つのシーンに大別されます。ですので、その3つのシーンごとに主人公のハンスの心情をまとめていきたいと思います。
神学校入学前
 主人公、ハンス・ギーベンラートは田舎の町で生まれ、学校の教師や神父のような大人たちに認められるほど、勉強に関しては優秀な子供だったようです。名誉心もありましたが、周囲の期待に応えるために必死になって勉強し、頭が疲れて不安になったりして、苦しんでいる面もありました。神学校の入学試験ではものすごい不安に襲われましたが、結局試験は2番で通過。彼は安心し、試験後の休暇には勉強を学問として楽しんだり釣りをしたりして楽しく暮らしました。
 
 このときは、今の日本人なら多くの人が体験したであろう、「受験勉強」のときの焦りや不安などが主に書かれています。こういうときに思うであろうこととか行動なんかは、かなり共感できるものだと思います。「はあ…落ちたらどうしよう」とか、「しんどいけど、勉強しなくちゃ。でも、やりたくないなあ、遊びたいなあ」とか、「俺は勉強できるすごい人間なんだ。でも試験に落ちたら、俺は普通の人間以下じゃないか…」とかですね。私の受験時代も思い出されましたよ。
 ハンスは試験と不安から開放されて休暇を得ることになりますが、このときの心情もかなり共感できましたよ。ハンスは試験が終わった後は釣りなどの趣味だけでなく、学問としての勉強をしていくことになるのですが、私もそんなのがありましたよ。例えば、昔を描いた歴史小説なんかは、古文を勉強しているときはそんな小説読むのはただの「勉強」のような感じがして気が乗らなかったのですが、受験が終わってからは「勉強」が無くなり、趣味として歴史小説を読んだり他のことを自分なりに研究したりしていましたよ。大体、今私が書いている読書感想文だって、義務じゃないからのびのびと楽しくやっていられるわけです。以上、私とハンスの行動から考えて、「義務」はその方面に対する興味を抱かさせるとは限らない、むしろ逆効果になってしまうこともある、と思います。
神学校在学時
 各地から優秀な生徒が集まってくる神学校での寮生活が始まりますが、ここでハンスは色々な人に出会います。必死になって勉強して1番を目指して大人たちに認められようとする行動を規範とするハンス、そういう行動が一体何になるんだというハイルナー。この二人は真逆の性格のようですが惹かれあい、ハンスはハイルナーから大いに影響を受けることになります。ハイルナーが放校処分を受けた後(その前からも)、ハンスは勉学に全く身が入らなくなり、教師や校長から蔑まれ、どんどんやつれてきます。
 教師の言うことや学校の建物の美しさなどをよく描かれ、この神学校は厳かなもので、そしてそこで励む学生たちもこの学校が持つ雰囲気同様の人間となり、社会的に素晴らしい人間になっていく、というような感じでこの学校のことが書かれていました。確かにそこで行われる教育は、論理的かつ頭の中だけで考えた理想を追うとしてはかなり効率的で、子供たちを所謂「立派」な人間に育てるのには最も良い場所のように思えました。
 しかしそこで行われた教育は、「立派」に仕立て上げるために学生たちの個性を出来る限り排除し、ひたすら詰め込み教育を行うというものでした。人の自然の中にある独自の嗜好や行動規範などは押さえつけるものだとした教育、そんなんじゃあハンスも弱っていくのは仕方が無いのでしょう…。
 ハンスにはおそらく、自分独自の強い信念というものはありません。だからこそ、周囲の大人たちや同年代の人に尊敬されたり褒められたりすることを、行動の規範としていたのでしょう。ですが、そういうものは逆に重圧にもなりやすいし、頑張る理由にしては弱いものですから、やる気が無くなるのも当然か。周囲に逆らった結果として何をしたいのか具体的にはわからない、従ったって希望は見えない…もうすでに彼は、袋小路にいたのでしょうね。
神学校退学後
 ハンスの精神は病み、故郷に帰ることになります。過去に感じた栄光は今は無く、ただ今は周囲から出遅れているひ弱な人間でしかなくなります。何もかもに疲れ、自殺を考えることにもなります。しかし、故郷の町での四季の美しさを感じさせる出来事や新しく始めた仕事によって、ハンスは段々、人の文化も含めた自然の中で生きることに喜びを感じ始めました。が、その矢先に川に落ちて溺れ死ぬことになります。
 
 ハンスが鬱病患者のようになり、生きる気力を全て無くしてしまったシーンは、涙を誘います…。自分はこういうのに弱いんだわ、自虐と自殺が登場するこういうのが。
 ハンスは、自殺をするために首を吊る木を探し、死を間近に考えるようになってからは、かえって「どうせもうすぐ死ぬんだから」という気持ちで、この世の別れとかやけくそみたいな心情になって、町を散策したりして、徐々に活力を見出してくるのもかなり共感できましたよ。いやまあ、私にもここまで死が間近にまで迫ったっていうわけではなくて、「もうどうでもいいや」という気持ちでかえって何かを積極的にする、というのは私もありましたよ。
 ハンスが人の文化や自然などの「あるがまま」の美しさに気づきつつあるシーンは、かなり印象的でした。今まではこういうのは学校での教育以下の野蛮なもののように思っていたふしがありましたが、学校の教育よりも奥深くて、理論だけではわからないものの良さというものがわかったようでした。ハンスは勉強の才能はありましたが、やはりその嗜好や性質から、こういう田舎町で背伸びをしない等身大の目線で、人や文化や自然の中で、「そのまま」に生きたほうが、こういう結果にもならなかったのかもしれませんね…。
 さて、全体的な感想に移りますが、まずは四季折々の自然や文化の描写がかなり美しく描かれている、ということですね。そういう、繊細で人工物らしいとは感じさせないようなものの描写って、日本人が得意のように日本人には思えるのですが、案外外国でもこういう素晴らしさは受け入れられうるものなのだろうと思いました。
 高校の評論問題じゃあよく、「日本庭園と西洋庭園の違い」とかのようなものが題材とされて、「日本人は自然(あるがまま)が好きなんだなあ!」とよく思っていましたよ。しかし、この小説を読むと、やはり西洋にも理論以上の「何だか良いもの」の位置に、「あるがまま」があるんじゃないかと思えました。
 この小説には以下のようなことが書かれていました。

「原始林は切り開かれて制御されねばならない。それと同じように、教育とは人の中にある粗野な力と自然の欲望を制御して、中庸を得た理想を植えつけることだ」

…だそうですが、今回のハンスの結果を見ると、その教育はやはり行き過ぎたものなのではないかと思えましたよ。 
 結局この小説では、人や文化や自然の「あるがまま」の美しさを訴え、そして人を社会の中で生かせて幸せにするという教育の目的を見失った功名心と義務が重視された教育は、かくも純粋な少年の心を衰弱させうるものではないかということを書いているのだと思います。
 主人公は少年です。社会から独立しても大丈夫だというような、強い大人ではありません。そして少年の世界と大人の世界は違います。私たちだって、子供の頃は今から思えばかなりしょうもないことでくじけたり喜んだりしていました。それは単にいろんな意味での世界の広さを知らず、だからこそ狭い世界の中の小さな出来事でも当時の私たちにとっては大きな出来事と感じられたのです。
 少年ハンスの世界も、狭いです。大人なら、「教師がなんだってんだ、親がなんだってんだ、俺は他の世界で生きていく」と思えるのですが、彼にとっての教師や親は彼の世界の中ではかなり大きい要素を占めるものだったでしょう。だから、そういうのに受け入れられない、愛されないということは、まさしく世界から受け入れられないということに直結するものだったのでしょう。
 しかしハンスは、故郷の「あるがまま」の美しさを理解し始めます。それは自分が予期しなかった、世界の広がり。こういう世界があったんだ、こういう生き方や幸せがあったんだ、そういうことを知り始めます。機械工となって町で野蛮に飲み歩くシーンなんて、その最たるものでしょう。不細工だけど幸せで輝かしい未来があったはずなのに、しかし結局、ハンスは溺れ死ぬことになります…。
 「車輪の下」という変なタイトルは、神学校の校長が言ったセリフで意味がわかります。

「それじゃ、結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね」

 ハンスは、車輪の下じきになりました。騒がしく急いで通っていく人工的人々たちに、彼は轢かれることになります。その姿は、山の中で暮らしていたタヌキのような動物が、開発によって町で暮らさざるを得なくなり、その結果車に轢かれて死んでしまうようなものに私は見えました。
 自然、美しさ、幸せ…。人間、どう生きていくべきか?

小説

Posted by YU