風のクロノア 感想

風のクロノア   作 ナムコ
 1997年にPS1で発売されたアクションゲーム、風のクロノアについての感想を書いていきたいと思います。現在はWiiやゲームアーカイブス等でもプレイできるようですね。
 王道アクションゲームで、そんなに長くないので3日程度で全クリしました。

風のクロノア PlayStation the Best for Family 風のクロノア PlayStation the Best for Family
(1997/12/11)
PlayStation

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 アクションゲームなので、まずはアクション性について。
 横スクロールアクションで、ジャンプしたりして障害物をかわしていく王道アクションな感じですが、マリオとかとは違った操作があります。それは、敵を膨らませて、それを投げたり踏み台にするということと、耳で羽ばたけること。これの動作のおかげで「クロノア」はそれなりに個性のあるアクションゲームととなっています。ステージの攻略では、「クロノア」独特の動作をこれでもかというくらい使用することになります。「もうこれらの動作だけじゃあ、これ以上のステージのギミックは作れないだろ」というくらいにね!
 ステージ数は、ラスボスと隠しステージ含めて全14面。同じくPS1で私の好きなアクションゲームであるクラッシュバンディクーは30面以上ありましたから、普通のアクションゲームと比べればやはり少し少なめかも?しかし、どのステージも個性があり、敵キャラやギミックや背景などが大きく変わっており、プレイに飽きることはほとんど無いかと思われます。
 難易度は、易しめ。アクションゲームがかなり苦手だorやったことが無いってくらいの人でなければゲームオーバーになることはほとんど無いと思います。ストレスはあまり溜まることなくスイスイとやっていけるので、やっていて気持ちが良かったです。ステージのギミックも面白いので、飽きもしませんでしたしね。でも、ステージが進むにつれて段々と難易度が上がっていくので、最後あたりはかなりやりがいのあるものとなっていたと思います。
 ギミック、難易度など、全体的に丁寧に作られており、プレイヤーがステージ1から成長しながら段々と難しいステージを攻略していくようになっており、プレイヤーの成長とやりがいが上手くバランス取れていたものになっていたと思われました。
 
 また、クリア後にステージセレクトが出来、取り残した住民や夢のかけら集めが出来るようになります。夢のかけらはどのステージにも150個ありますが、その全てを取るのは、なかなかのやりこみに相当するかと思われました。特に、妖精を取った後のかけら2倍取得状態となっている間に、とれるかけら全てを取るのはなかなか難しいもので、何回もやり直したりしましたよ。スタッフもそれが難しいということがわかっていてか、中継ポイントが妖精の前に必ずあるっていうのが、ストレスフリーでしかも難しいやりこみが出来たポイントだったかと思います。
 というわけで、クリア後も含めれば、アクションゲームが得意な人も結構なやりがいを感じるゲームなんじゃないかと思いましたよ。
 
 音楽や映像など演出関連について。
 音楽の曲数はすごい!最低でも、ステージ一つに一つはあるという、ね。そのおかげで、「ああ…またか」なんて一切思いませんでしたよ。ステージの個性を出すのにかなり役だっていたかと思います。全体的に良い曲ばかりなのですが、特に好きな曲はやはり4-2のボス曲「Baladium’s Drive」ですね。4-2のボスは、ストーリー、敵の造形、音楽などが完璧で、鳥肌立ちながらの戦いでしたよ!(まあそのボスは最も簡単に倒せたんですが)
 PS1作品の中でも結構初期のほうのゲームである「クロノア」ですが、ムービーはかなり良い方だったと私は思います。カクカクさは見られず、曲面を多めにすることでファンタジックな感触が出ていたかと思いますよ。特に良かったムービーは、月の国出現ですかね。あのときの水晶の瞬きは見ていてうっとりします…。
 敵のデザインは基本的にファンタジックな世界に合った、可愛らしいものが多かったです。特にムゥ(最弱雑魚敵)は丸っこくて、ぬいぐるみとかクッションとかが欲しくなったぜ…どっかのUFOキャッチャーとかに無いものか?でもまあ、ガディウスとかナハトゥムとかはやっぱりボスらしく、恐ろしくも醜悪でもある造形でしたね。この丸っこくて可愛らしいものが多い世界の「悪夢」だから、そうなんでしょうかね。
 会話やクロノアのアクション時には声がついており、いったい何を話しているのかよくわからない独自の言葉を話しているようですね。どのキャラも独特の声で個性がありますが、気に入ったのはやはりクロノアかな!いやはや、クロノアって少年っぽいのに声は可愛すぎじゃね?特にタイトルの「わっふー!」とやられたときの「ふにゅぅ~」は、私をケモナーに導きかねなかったよ…。
 
 
 最後にストーリーです。私がこのゲームを購入したきっかけが、このゲームのストーリーに関する口コミだったわけですが、確かに最後の最後にすごいことを描写してくれたと私も思いますよ。
 最初の方は、ファンタジー世界内で起こった事件の視察から、この世界の運命に関わる重大なことに巻き込まれていくという、王道でそんなに独創的で無いようなストーリーだと思っていました。雰囲気が良い純粋なアクションゲームだとか、そんな印象のみでした。
 しかし、道中に度々出てくる「夢」という単語、ラストにヒューポーによって明かされる、「この世界はクロノアにとって夢の世界である。君は君の現実(ファントマイル)に帰らなくちゃならない」ということなどによって、クロノア世界は夢の中の世界であったことがわかります。そしてクロノアとヒューポーの友情の記憶はヒューポーによって作られたものであるため、おそらくあの世界でのクロノアの「本当」は、1-1ステージ開始からなのだろうと思われます。
 まず、偽りの記憶によって偽りの友情を作ったヒューポーとクロノアに、この世界が夢であるとわかっていてもラストで本物の友情が示されることになるということに感動しましたね。偽りの記憶を与えられたのなら、普通はクロノアはヒューポーに怒ることになると思います。だけどそうしなかったのは、偽りの記憶によって利用されたとしても、ヒューポーと一緒に旅をして助け合ってきたのは本当で、ヒューポー自身が犠牲になるほど頑張っていたのも(夢の中だけど)事実ですしね。
 「夢」というものは、「虚構」のようなものであり、それは本物じゃないため本物よりも価値が低いものであるように思われています。少なくとも私はそう思っています。夢の中で見たドラマティックなこと、恋や冒険、その他の愛。それらはどんなに素晴らしいものでも、所詮「夢」であって、すぐに忘れてしまうものです。忘れてしまうのは、それに価値を見出していないから。
 夢は夢であっても、本当にその全てに価値はないのか?「本物」は無いのか?自分の中だけしかにない、本の中のような世界を「虚構」の一言で存在しないものだと決め付けるのは、少し寂しいのではないか?いや、私たちが自分というフィルターを通して現実を見るということを考えれば、現実も虚構も自分の頭の中では大した違いは無いのではないか。そんな虚構世界の価値というものを、このゲームを通して考えさせられましたよ。
 そしてもう一つ、上記事象に対するさらなるメタ考察として、「クロノア=プレイヤーであり、現実に帰るということはゲームをクリアしてやめることなのではないか?」ということがあります。
 ネット上の考察を色々読んでいるとその説が主流となっています。最初私は、クロノア物語は上記の「夢と本物」のみに重きを置かれていて、クロノア=プレイヤーとは思えませんでした。しかし、プレイヤーが最初に名前を入力し、ラストでそのプレイヤー名が載った「風のクロノア」を見る限り、やはりクロノア=プレイヤーだったのだろうと私も思うようになりました。
 さて、クロノア=プレイヤーであったのなら、クロノア世界での異質な夢とは、制作者によって作られた物語世界に入り込んだ現実のプレイヤーたちということとなります。そしてその世界の物語を終えることで、私たちはゲームをクリアーし、物語世界に別れを告げることになります。
 私たちが日ごろ行っている、ゲームのプレイとクリアーというものは、物語への自己投影と世界からの別れということでしょう。小説や映画などでは私たちはすでに存在する4次元世界(仮想時空)を追体験していくことですが、ゲームというメディアは少々異なっています。異なる点は、プレイヤーがゲーム内のキャラを操作することによって、物語世界に入っている度合いが強いということです。右ボタンを押せばキャラは右に動きますが、小説や映画にはそれは無く比較的自由度はありません(まあゲームにだってやれないことはいっぱいあるのですが)。
 そのような意味から、この「風のクロノア」という「ゲーム」は、ゲームというものを俯瞰的に捉えた、プレイヤーとゲームとの関係を改めて明らかにしたものではないかという考えも出来ました。
 以上、「風のクロノア」は、アクションとして王道で面白く、他の演出関連もよく、そしてストーリーがメタ的で奥深く、しかも作中のファンタジックな雰囲気も残した、PSゲームの中ではかなりの良作に入るものだと私には思われました。


やりこみ記録★
・全住民確保
・全ステージで夢のかけら150個取得

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Posted by YU