映画 魔女の宅急便 感想
雑記
風邪が意外に早く治った。
休日に風邪になって、休みを台無しにしてしまうのって、何だかなぁ…。
魔女の宅急便 感想
角野栄子の児童書「魔女の宅急便」を原作としたジブリアニメーション、魔女の宅急便の感想です。
これまでに何度もテレビで見たことはあるのですが、あえてDVDで借りてじっくりと見ることにしました。今までに見たときは子供のときでしたから、このシーンがどういうことを意味しているのかとか深く考えずにボーっと見ていたので、ある程度物語への審美眼とかが鍛えられていた今になって見るとまた別の見方が出来るんじゃないかと思ったのが視聴を決めたきっかけです。
とりあえずまあ、この年になって見てわかったのは、この映画はものすごい少女趣味というか少女に幻想と憧れを持っている大人の男が作ったアニメ映画ということですね!
元気で、純粋で、失敗したりするけれど頑張る女の子のキキが主役です。私が以前読んだ「グミチョコレートパイン」に「男は女を性的なものとしても、聖なるものとしても見る」という文が載っていましたが、今作品は100%「聖なるもの」として少女を描いているんでしょうね。
しかしキキは13歳ですので、そろそろ「女」になる年頃ですね…赤飯炊くという意味で。
世界観は「第二次世界大戦を経験しなかったヨーロッパ」を舞台にしているらしく、そのおかげで戦争の色は全く出てきていません。ですので作品全体を通して、主役達以外の状況によってかなり重苦しい雰囲気が出てくるということは無かったでしょう。
前作の日本的な「となりのトトロ」とは違って、この作品はヨーロッパですので町や住民達の衣装が結構異なっていますが、本質的にはあまり日本と異なってはいないのですんなり世界感に入っていけるでしょう。
さあ、ではストーリーの感想ですよ。
前半は普通にキキが一人で頑張ったりしています。前半と後半を分けるターニングポイントはやはり魔法が使えなくなったシーンでしょう。そうなったのはトンボとの自転車散歩の後です。トンボと会話していたら、「ニシンのパイは嫌い」と言った少女とその友達がトンボを飛行船を見に行こうと誘って、その後キキが不機嫌になってトンボと別れます。そしてキキは部屋に帰って自分に「素直じゃない女の子になった」と自己嫌悪しますが、その後に黒猫のジジと会話が出来なくなり箒に乗ってもほんのわずかしか飛べなくなります。
その後宅配の時に知り合った女画家の家に泊まりに行って、その人と自分の悩みについて語ります。キキがどうやって空を飛べるのか、と聞かれたときに「魔女の血で飛ぶ」と答えます。女画家も絵が描けなくなるときがありますが、そのときに他人の絵じゃなくて自分の絵を描こうと決めます。
その後トンボが飛行船から落ちそうになって、キキは彼を助けるためにデッキブラシで飛んでいきます。
一体なぜ魔法が使えなくなったのか、そしてなぜ魔法が復活したのか?
魔法が復活したのは、女画家が言っていた「他人の絵じゃなくて自分の絵を描こうと決めた」というようなことが大きく関係しているんじゃないかと思います。これまで自分の魔法について考えもしなかったキキですが、トンボを救うためにこれまで何となく意識していた「魔法を使って空を飛びたい!」ということを、自分の心の奥から強く念じたことによって、「自分の」魔法が使えるようになったのではないでしょうか。今までは自分の魔法が自分の魔法であると自覚せずに気楽に使っていたのでしょうね。
魔法が使えなくなったのは、実ははっきりわかりません。上記のことを考えると、あのシーンで自分の魔法について何か自信を無くしたような感じを受けたのでしょうか?自己嫌悪によって?
自分の魔法が使えるようになったキキは、トンボを助けたときに乗っていたあのデッキブラシでそのまま生活を続けます。おそらくデッキブラシに乗っていたのは、箒に乗るのが慣習の魔女とは違って、キキは「自分の魔法を使っている」、というようなことを表したかったのではないかと思います。
エンディングでは順調に生活を続けるキキが、エンディングテーマの「やさしさに包まれたなら」が流れながら描写されています。このときが本当にさわやかで清々しくてねぇ…。重苦しい後味なんて皆無でしたから、見終わったときは最高に気持ちが良いです。
そういやあこれの原作が最近完結したそうですね。またそちらも機会があれば読んでみたいです。
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