笑う、わらわぅ 感想
笑う、わらわぅ 作 かなしみホッチキス
2011年頃にツクール2000で制作されたフリゲのRPG、「笑う、わらわぅ」の感想を書きます。
私もいくつか感想を書いているタオルケットシリーズの9作目くらい?です。こんなにも長く続いていますが、意外にマンネリさはあまり感じません。
ストーリーの比喩暗喩隠喩はドクソ複雑なので、まずそれ以外からいくぜ!
基本システムは、以前のタオルシリーズとさほど変わっていません。特技で操作キャラのわらわぅの衣装をチェンジ出来ることくらいですかね。
グラフィックは全般的にゴシック調になっているようだと、素人目には見えます。ゴシックにありがちな白黒模様はわらわぅの容姿にもちょっと合っているかのようにも思えます。
以前のタオルシリーズではゆるほわな背景やキャラが多かったのですが(それと真逆なものも多かったけど)、今回は全体的に不気味で不思議な感じがあり、奇妙な夢の中のような雰囲気が漂っていたように思えます。『ゆめにっき』よりはまだ何かしらの意味を感じられますが、だからこそより恐ろしくも思えました。
4隅の飾りも今までになかったものでした。マップを切り替えたりものを調べたりすると現れるのですが、どういう意味があったんだろうか…。私にはなんか、額縁のようにも思えましたが。絵を飾る額縁は、虚構への入り口?
今回は雑魚戦を全て回避出来、その代わりマップ上の『何か』を調べるとわらわぅがアクションし、経験値が得られるようになっていました。終盤にあるクリスタルっぽいものは調べても無くならないので、連打でいくらでもレベル上げられるよ!無駄にレベル40まで上げてしまった…。
さて、ではストーリー感想に移ります。大抵のことはこちらの考察されている方のサイトを見れば大体わかりますし、私の考察もその方とほぼ同じです。
全ての謎はエンディングでわかる構造となっています。ですので1週目では頭をフル回転させながら、一体何が起こっているのかを推測しながら進めることになりました。あらゆる可能性を考えまくるあの感覚、今となっては懐かしい…。2週目からは色々な設定や演出が、「そうだったから」ということで少しずつ理解できるようになります。
1週目での一番のヒントは、「Alice in wonderland」でしょう。大体予想が付いていた人も多いですが、このゲームの舞台は夢の中のようなものだということがわかります。で、一番大事なのが、「どうしてこういう夢を見ているのか?」ということですね。
夢にはいくつもの意味の無いものが出てきます。このゲームにも一見意味の無さそうなものがたくさん出てきます。しかしラストがわかってから考えるとわかることも多いです。文字通りの病院、聞き飽きて大嫌いになったクラシック、心の砂漠、母の愛が詰まった作りもののぽんの世界、心を蝕む錆、私を助けてくれる王子様、水族館に行ってみたいということと水槽…マップ上のギミックもおそらく、動けないわらわぅの願望のようなものかもしれません。にゃにゃもには反応しなかったし。
そういえば『お茶会』って何だろう?ぷっちママとの会話とかなんでしょうか?妄想キャラとの会話とか?う~ん、まあそういう感じなのかも。悪いことではなさそうです。
ともかくも、このゲームでは寝たきりのわらわぅが味わった数々の希望と絶望と狂気と悲哀をメタ的に味わっていく、ということだったのでしょうね。寝たきりだからこそ思索ばっかりしていたんだろうな…。
進めば進むほど、事態が最悪の方向へ向かっている感じが出てきます。この奇妙な恐ろしさと言ったら…。血反吐結びが焦っていくことも、最後は戦って消してしまう顛末も…この先が恐ろしい、だけど見なくちゃならなくて…。
ラストの演出は圧巻です。オープニングでやったキャラ紹介をエンディングでやるのは反則過ぎます。BGMもです。おうおう(´;ω;`)
無償の愛と報われない絶望とかそういうのは、私の泣きツボです。ええ、ぷっちママのことです。彼女の気丈で優しいお話、だけど同じ話ばっかりになってしまうという不器用さ加減、わらわぅが「あんたが育てた、責任は当たり前」と絶望したこともあるということも含めて全て。ちょっとだけナルキッソス2のようにも思えたり。
わらわぅは何度も何度も同じこと、同じ絶望、同じ希望、同じ狂気を味わっているのでしょう。精神世界の中で何度も立ち上がって何度も倒れ、自分の死体を幾万も積み重ねながら、そしてゆっくりゆっくり錆に覆われていく…。
本当に私は蛹なのか、いつか羽ばたけるのか、っていうことも何度も考えたことでしょう。そして思索は巡って結局全部無くなって…。笑えない、このゲーム、笑えないよ…。
1週目では、このタオルシリーズ全てがわらわぅの夢の世界なんじゃないかとも、思ったりしました。なぜそんなことを考えたかというと、ぽんとわらわぅの容姿が似ていたこととか、いつも最終装備にあった『白いシリーズ』とかの存在から。
でもその仮説は間違っているでしょう。もしその仮説が正しいのなら、わらわぅはタオル3からずっとその存在を匂わせていたと思いますし。色んな可能性を考えまくった1週目だからこそ思いついたことです。忘れて良いです…。
タオル6(裏)では、わらわぅが愛するみんぽぅを殺すことになりますが、あっちではわかりやすい不幸があったしわらわぅ自身それなりに健康ですから、「真っ当に狂った」結果でした。
が、今回はどうでしょう。この世界のわらわぅにも狂ってやろうという気持ちは確かに存在していました。が、現実は狂おうとしても狂えないほど自由が無い…死にたくても死ねない、笑いたくても笑えない…。何かそんなことを考えれば、寝たきりのわらわぅのほうが圧倒的に哀しいように思えます。
しかしこのゲームの原作はタオル裏のようです。ということは、ぽんが悪者だったことやみんぽぅを殺したことってことは、わらわぅの「もうこんな世界ぶっ壊してやる」ってことを表していたようなものなのかもしれません。
何だかこのゲームでかなしみホッチキスさんの更なる才能に気づいたかもしれません。個人的に『笑う、わらわぅ』は『タオル1』くらい、斬新さとストーリーの上手さを感じられたものでした。
設定を小出しにして比喩を使いまくるのって、ストーリーを作る難易度としてはどんなものなのでしょうか。いや、明らかに1週目と2週目で感じられるものが違っており、作者は1週目のプレイヤーの心の動きのシミュレートとかしていたんだろうか…。ん、何か言葉がまとまらんな。