ナルキッソス2 感想

narcissu SIDE 2nd (ナルキッソス2)   制作 ステージなな
 2007年に公開されたステージナナ制作のフリーのノベルゲーム、ナルキッソス2の感想を書いていきます。
 前作、ナルキッソスの続編ですが、時系列的にはこちらが先となっています。ナルキッソス1に登場していたセツミが、まだ7Fの住人で無かった頃の物語。


なる22 舞台となるのはやはり、終末期医療を行うある病院の7Fにあるホスピス。前作主人公はある男であり、セツミは観察対象のようなものでした。が、今作では主人公がセツミで、観察対象が姫子というセツミよりも7歳年上の女性となっているようです。主人公(語り手)の心情を追うことがメインではなく、姫子の心情を追うことが物語のメインとなっていますね。
 前作の季節は冬でしたが、今作は夏。蝉の鳴き声やフェニックス(植物)などがその季節感を表しています。が、まあ別にその季節でなければならないというわけでもないかも。
 絵とBGMはやはり良いものです。ラストのALLクレジットを見てみると、声優がものすごく豪華だったり、色々有名な音楽ユニット「eufonius」が参加していたりと、フリーにしてはかなり豪華なキャストで作られていたようです。やっぱり作者が業界人だと違うね…。
 今作のコンセプトなどでちょっと意外だったのが、「泣かせゲーになることを危惧していた。そのため感情移入は少なめにしたい」ということです。「ただそこにある物語」にしたかったようです。だからプレイ後には、こんな特殊な余韻が残るというわけか!
 今作に登場する姫子は元々車のレストアなどを行っていたくらい活発であり、セツミに対する話し方からもその性格が出ています。急に病人となり7Fの住人になっても心が強いのか、よくジョークを言ったりしています。でもそういうのは、本当に彼女の本心なのか…。
 前作では7Fの住人の二人だけしか描かれていませんでしたし、その両親とかの描写もほとんどありませんでした。しかし今作は違っていて、去る側の周囲の人間、つまり残される人がメインとなっていたように思います。去る側も残される側も、お互いに気を遣い、そして悲しいことにその気持ちが一致する点は無く…。
 
naru21.png ナルキ2の中で、人間の立ち位置を表すのに、「ネロ」と「アロア」がよく使われています。二人ともフランダースの犬に登場するキャラであり、ネロは去る人、アロアは残される人を意味しています。で、この二人に関して疑問が投げかけられます。「ネロとアロアはどちらが幸せか?」
 普通に考えれば、死んでしまうネロのほうが不幸でしょう。が、残される側も相当な負担を負うことになります。親しい人が死のうとするだけでも悲しいし、親しい人の世話をするのが面倒だということもあるし、去る人が自分に気を遣って冷たく接してきたりするのも切ないし…。
 去る人は残される人の幸せを祈って、負担を減らそうとするために食事を摂らなかったりして死期を早める。遺される人は去る人の幸せを祈って、何とかして思い残すことが無いような幸せな最期を送ってもらいたいと思っている。去る人も残される人も、お互いがお互いの幸せを祈っているのにも関わらず、その祈りが合致する点は、無いのです。
 そんな矛盾しているような状況を打開して欲しいがために「神様」に祈ろうとしていますが、やはりそんな都合の良いものはなく、ただ人間たちは祈ることしか出来ない…。
 みんながみんなに優しくしていれば、みんな幸せになれると思っていたら、こんなにも切ない心のすれ違いが生まれてしまうのですね。だから、せめて、そういうすれ違いがあっても、最期に笑っていれば少しでもお互いに救われます。でも、逆に言えば、それまではお互い全く救われないのかな…。
 ナルキ1のラストでも、セツミは主人公に向かって笑いかけました。あれは残される人へのいたわりなのか、それとも…

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Posted by YU