エイリアン9 3巻感想&総括

雑記
 若者が飲み会に来ない、というような状況になってきていますが、その理由は本当に「若者が場を大事にしない自己中になってきたから」なのか?
 飲み会などに参加しなくなったのも何か社会上の理由があるのかと私は思うんです。例えば、昔は先輩や上司が信頼するに値する人間であり、そのような人に従えば結局自分のためにもなったりしていたんじゃないか。対して現在は、謙虚に先輩に従ったり会社に従っても、彼らにはどうにかして若者のコストを抑えて無茶な仕事をさせようという魂胆が存在しているから若者が信用するのをやめたとか、そのような可能性もあるんじゃないかと最近思います。

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3巻
img029_20111205192806.jpg ゆりはボウグに共生を望まれますが、断固拒否します。ボウグへの認識が最初と変わっていないのが面白いですね。成長したり変化したりしてボウグへの好意を持つと思ったら、そんなことはないという。
 エイリアン「ひまわり」がやってきますが、ゆりが共生されてしまったので先生はゆりを「処分」しようとします。ここになかなかハードSF的なものが見え隠れしましたよ。ボウグと共生した先生は最初から人間のためにボウグと共生させるのではなく、ボウグのために人間にボウグを共生させることが目的だったようで、そのためなら手段を選ばないし、将来的に邪魔になるものは無慈悲に殺すようですね。ボウグとの共生のための社会システムがすでに作られているということを考えれば、ボウグの人間界の侵略はほぼ済んでいるようですね。
 ゆりが心の中で「ひまわり」にちやほやされ、友達を次々と殺していくシーンはなかなか圧巻でしたよ。あのシーン、よく見ると、友達を殺すごとに場所が学校から宇宙船の森へと変わっていっているんですよね。おそらくこれは、ゆりが学校という社会の中で生きる人間から、ひまわりと共生する「生物」になってきているということを示唆しているのでしょうね。
 ボウグがゆりの心の中に侵入しましたが、単に「ゆりがボウグとの絆を思い出してボウグを選択する」というのではなかったのが、また一風変わっていると思いましたよ。結局ゆりからひまわりを引き離したのは、「ボウグを身に着けたくみ」によるもので、くみ単体・ボウグ単体ではなかったようです。
 ゆりは心の中でくみ以外の知っている人にひまわりを装着させて召喚のようなものを行ってくみに立ち向かっていましたが、そのときじゃあなぜ「くみ以外」だったのかと考えればやはりゆりにとってくみに特異性が存在していたのでしょうね。ゆりはよくくみにひまわりとの共生を勧めていて、かすみには勧めていませんでした。くみに勧めてかすみに勧めなかったのは、おそらくかすみはイエローナイフとの共生を心から喜んでいるのに対して、くみはボウグとの同化を嫌がっている様子を見せていたからだと思います。
 じゃあどうしてボウグとの同化を嫌がっているにも関わらず「ボウグを身に着けたくみ」がゆりからひまわりを引き離したのかというと、「エイリアンのようになってしまったくみでも、それはやはり『くみ』であって、大切な人なんだ」ということなんでしょうかね。
 ゆりは宇宙船の森に行ったとき、「エイリアンになってしまったかもしれないくみとかすみを助ける」と考えていたことがありましたが、結局最後にはひまわりを「エイリアン」だとして、ボウグと同化したくみを「くみ」として認めたところに淡い感動がありますよ。ゆりにとってくみは「人間」ではなく、「くみ」なのでしょうね。そこには、「人間でもエイリアンでも関係ない」という想いが加わっているのだと思います。
 
 ゆりはボウグに殺されることもひまわりに共生されることも回避しましたが、世界設定を考えれば状況は全く良くなっておらず、むしろ人間にとっては人間と共生をしようとするエイリアンが増えて危険になってきています。しかしそのような世界であっても、ゆりにとっては大切な友達と再び一緒に生きることが出来る、ハッピーエンドにはなっているかと思いますね。
総括
 まずはビジュアル面から総括していきますが、この漫画は人間の絵柄はほんわかしていて何となくほのぼの系な漫画だと最初に印象を受けるのですが、エイリアンのデザインはハードSFだった。すごいですよね、エイリアンのデザイン。エイリアンはかなり多くの種類が出てくるのですが、どれも個性のある気持ち悪いものばかり。何と言うかね、ゲジゲジのような気持ち悪さではなくて、「異質」という意味で気持ちが悪かった。『こんなもの見たこと無い、得体が知れなくて不気味だ』というような感じです。
 しかしそんな気持ちの悪いエイリアンのデザインがほのぼの系に描かれた小学生と上手く対照的になっているというか、当然のようにエイリアンと戦っている小学生に対してさらに「違和感」を覚えやすくなっていると思います。私たちが生きている現実とは明らかにおかしいという印象を、読者は受けるでしょう。ただ単に、「エイリアンが地球にやってくる話なんだね、ふ~ん」では済まされないと思いますね。
 この漫画は「エイリアン」という要素の他に、「小学生の女の子」とか「百合」なんていう要素も入っていて、汚い性欲のようなものが一切無く、「恋」というより「愛」で表されるものが多かったですね。大人の男にとって、「女の子」というのは自分にとって正反対な存在であり、だからこそ女の子に対して幻想を抱き、自分の汚い部分を持たない清純なものだという認識を持ちがちなんですよ。そんな清純な存在が、エイリアンという不気味で奇妙で得体の知れないものと戦い、襲われてしまう様子をこの漫画では描かれているのですが、そういうことを考えれば、作者は生粋のロリコンだわ。しかも、サディスト。
 「子供を主人公にした物語」では、大抵は「子供が成長していく」というものを描かれていくのですが、このエイリアン9では成長は描かれていたか?
 主人公のゆりは最初、「駄目な子」として表され続けていましたが、しかし終盤でも特別すごい能力を持つようになったりするわけでもなく、エイリアンとの戦闘能力が向上することも無く、やはり「駄目気味な女の子」として描かれています。
 しかしですね、変わってきたところもちゃんとあります。それは、同じエイリアン対策係のかすみとくみに対しての想い、つまり積極的に友情や愛情を持つようになって、最初は助けてもらってばかりなのに終盤では自ら二人を助けようとしています。そこが序盤と終盤でゆりが異なる部分ですね。
 ゆりがずっと「駄目な子」として描かれていたからこそ、「ひまわり」がラストのエイリアンとなったのでしょう。ひまわりはゆりが駄目な子でも全面的に受け入れ、ゆりをちやほやしてゆりの認められる・受け入れられる場所というものを作っているのですね。「他人(第三者)に叱られる世界」と「他人にちやほやされる世界」のどちらかを選べと言われたら、大抵の人は「ちやほやされる世界」を選ぶでしょう。ゆりもその世界を選びそうになりましたが、しかし思いとどまって「他人に叱られる世界」を選びました。その理由としては、ゆりにとってくみやかすみは、『第三者』というものには絶対に納まらないほど、『大切な人』となっていたからでしょうね。
 そうつまり、ゆりにとって、種族としての人間・ボウグ・エイリアンの運命や生存競争なんてものは問題ではなく、小学生だからこそ、半径5m以内(観念的意味で)の世界の中が最も大事であり尊重されるべき存在だったのでしょう。種としてではなく、リアルな小学生として、ゆりは行動していたのでしょうし、この漫画はそういうことを描いた作品なのだということですね。
 たった3巻で終わる短い漫画ですが、もんのすごい濃い作品でしたよ
 最初読んだときは、「よくわからないけど何故か面白いな~」というような単純な感想を持っていたのですが、何度も読んでいるうちに「なるほど、こういうことか!」とわかるときが多々あり、この漫画は濃い作品だということを実感しました。
 私個人としては大いにはまったのですが、この漫画って一般受けするのかなあ?小学生の女の子が主人公というところはキャッチーな感じだと思いますが、表面的に描かれているものに比べると裏はハードなSFなんですよ。しかもロリコンとしての想いも多大に含まれているようで、そういうことを考えればこの漫画って、化けの皮かぶっている漫画ですよね。しかしだからこそ、そこにギャップと違和感が生じて、読み進めるのが止まらなくなるほどの良作となったと私は思いますがね。
1~3巻

漫画

Posted by YU