あすなろ物語 感想

あすなろ物語   作 井上靖
 1953年に井上靖さんによって書かれた長編小説、あすなろ物語について書いていきます。
 以前に「敦煌」や「楼蘭」を読んでかなり面白いと思い、それから井上靖さんについて興味を持ったので、あすなろ物語も購入してみました。中国西域を扱った作品とは少し作風が異なるこの小説ですが、やはり面白いものだと思いました。

あすなろ物語 (新潮文庫) あすなろ物語 (新潮文庫)
(1958/11)
井上 靖

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 この「あすなろ物語」は、6章の構成となっており、全ての章で主人公は同じですが、年代や場所などが異なっています。
 特徴的なのは、6章それぞれに異なった人物が出てきて、他の章との関連性はそんなに無いということですかね。主人公の背景としては関連性があるのですが、テーマのようなものが少し違う感じです。まあ、根本的にはテーマも全て同じかもしれませんが。
 
 タイトルともなっている、「あすなろ」についてです。作中でも紹介されていますが、『あすなろ』というのは、『翌檜』とも書き、「明日は檜(立派なもの)になろうとしていても、なれないもの」という名前の由来を持っているようです。(ちなみに青森県ではヒバと言い、青森のヒバは日本三大美林の一つに数えられます。)
 6章の大部分にこの翌檜の由来が登場し、登場人物たちや主人公は「自分は檜か、翌檜か」というような感慨を述べていきます。
 普通、「立派なものになろうとしてもなれないもの」だなんて、「努力をしても決して報われない」という意味に捉えられるため、翌檜はかなり消極的で後ろ向きなものをイメージするかと思います。
 実際、1章の「深い深い雪の中で」は、『克己』という言葉を主人公に教えた大学生の加島は心中してしまいます。一緒に心中した冴子は、そんな自分たちを翌檜のように思っているような印象を受ける言葉を発しています。
 しかし、章が進むにつれて、『翌檜』からマイナスイメージが薄れていってきます。
 「誰が檜か、翌檜か」を語り合うシーンが、3章の「漲ろう水の面」より出てきますが、ここでは主人公の周りに必死で頑張る人たちがおり、彼らは檜になろうと必死に頑張っています。しかし主人公は頑張ろうとすることも出来ず、自分は翌檜ですらない、と思ってしまったりするのです。つまりここでは、翌檜は翌檜ですらないものよりは上だ、という評価がついてきます。
 そして最後の章、「星の植民地」では、戦争によって全てを失い、日本中の「あすなろ達」がいなくなってしまいます。しかし、終戦の日からゆっくりと、人々は今日を頑張って明日を生きようとする、「翌檜」になってきます。
 檜は天才、翌檜は栄光を得ようと必死に努力する人たち、そして凡人は翌檜にすらなれないというイメージは、最終的に変わり、明日を生きようとする人々全員が翌檜なんだ、ということになります。
 最初で「努力をしても報われないもの」でしたが、物語の終わりでは「明日を生きようと必死に努力する人たち」というように、翌檜はプラスイメージに変わってくるのです。
 
 この転換点がこの小説の肝ですね!すごい人物であることが大切なんじゃなくて、やっぱり大切なのは、その心意気を持つこと自体が、いや、すごい人物になろうとなんてしなくたって頑張る人間は素晴らしいものなんだ、という人間賛歌がこの小説で表されているかと思います。
 そうそう、後、6章の「星の植民地」という言葉も最高ですよ。まず第一、言葉自体が美しいですしね。意味は、地上に灯る明かりが夜空に浮かぶ星のようだ、というものですがこれも人間賛歌の意味に捉えられそうです。私たちが望む星々は美しく、決して手が届かないものです。しかし、そのような星々は地上にも、私たちの周りにもあるのです。それは、頑張る人間たち。彼らは夜空に浮かぶ星々のように、絶対的な美しさを放っているのだと、そんなことも意味した言葉だと私は思いました。

小説

Posted by YU