映画「AKIRA」 感想

2020年4月23日

AKIRA  原作・監督 大友克洋
 1988年に制作された劇場版アニメ、「AKIRA」の感想を書いていきます。映像技術が発展するに従って、上位メディアで現在でも復刻され続けているようですね。
 原作は1982年に連載が開始され、原作終了前にこのアニメが制作されることになりました。しかし監督が原作者と同じ大友さんなので、尻切れトンボにはならずに、この劇場版アニメ内でAKIRAは完結させることが出来たと私は思っています。

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岩田光央、佐々木望 他

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 まずは、グラフィックですが、作画ヤバイ、ヤバスギルよ!!
 ネットでAKIRAを調べてみると、やはり1988年に制作されたこともあって、CGは一切使っていない、全編セル画のアニメのようです。このアニメの制作には、日本中の天才アニメーターたちをかき集めて盛大に行われたようで、そのおかげで「当時のテレビアニメのレベルが下がってしまった」と評されるほどのようでした。
 作画では、静画ももちろん圧倒されるものでしたが、それ以上に動画が恐ろしいくらいの出来でしたよ。全編に渡ってそのクオリティは下がらず、終始圧倒され続けました。人間はヌルヌル動きまくるわ、しかも道行くモブキャラにもそのクオリティを適用するわで…、CGの無い時代にこのレベルのアニメを作るだなんて、想像できないくらいの労力と才能を用いたのでしょうね。
 グラフィックで特に「ヤベエ!!」と思ったのは

・異常なほど緻密に描かれた摩天楼を背景にした序盤のバイクシーン
・反政府デモシーンの、画面全体に広がる破壊される様々な物と逃げる人々
・パイプがまるで生物のような動きをするアキラ解凍シーン

ですかね。もちろんスゴイと思えるシーンはもっともっとありますが、特に印象的だったのはこの3つのシーンですね。これらのシーンでは再生速度をスローにしたりしながら、画面全体で起こっていること全てを把握しようとしましたよ。そのくらいまでしないと、グラフィック全部を楽しむことなんて不可能だから!
 AKIRAの世界は、自然などがほとんどない、人工的な物質が満ち溢れているものとなっています。近未来都市で繰り広げられる暴力と破壊が主に描かれることになるのですが、現在にはあまり無いような人工物を緻密に画面全体に描き、かつそれらを破壊したりするシーンをアニメーションで描くことが出来たということは、よく考えたら普通の人間にはわけがわからないものですよ!だってね、あんな世界をちょっとは想像できても、そこに出てくる様々なものががどのように動いたりするのかということを理解するのは、かなりの労力が必要なことでしょう。
 さて、お次はストーリーの感想です。AKIRAのストーリーには、金田と鉄雄、社会と人々、アキラたちが持つ力の3つに分かれるかと思われます。ですので感想も3つに分けます。
①金田と鉄雄
 金田と鉄雄は、元々は孤児。当時の鉄雄は泣き虫で、いつも金田に頼っているようでした。そのため金田も鉄雄を守ろうとしていて、青年になった今でも金田にとって鉄雄は「弱い人間(守るべき人間)」であるようです。そんな金田からの扱いと自分の非力に対して、鉄雄は思ったのでしょう。「俺は弱い人間なんかじゃない、いつか金田にだって勝ってやる、(金田に申し訳ない?)」
 そんなわけで、鉄雄は金田に対して子供っぽい反抗をしてみせます。注意に背いてみたり、一人で危険な真似をやってみたり、自分が残虐であるということを見せびらかしたり。力を得た後は、金田を子ども扱いしようとしたり、殺しあったり。
 しかしそれらの行為は、金田への純粋な憎しみによるものではないということが劇中で示唆されているかと思います。例えば、金田のバイクが燃やされようとするシーンでの、「そのバイクに触るな!!」という言動。そしてラストシーン、お互いがお互いを殺そうとしていたのにも関わらず、鉄雄は金田に助けを求め、金田は鉄雄をどうにかして救おうとしたということ。
 鉄雄は金田に反抗していましたが、それは単なる「嫌いだから」という理由では済まされないと思います。友達として好きだったからこそ相手と自分に対する感情と社会状況が渦巻いた結果金田と鉄雄は戦っただけで、そこには「絶対に相手を殺さずにはいられない」という感情は無かったのではないかと私は思います。
②社会と人々
 1982年にアキラによって東京が荒廃、それがきっかけとなって第三次世界大戦が勃発。そして2019年、東京湾に浮かび超高層ビルが乱立するネオ東京が、この「AKIRA」の舞台となります。
 ネオ東京には自然的なものが無い、人工世界。あらゆる場所に人工物と「ゴミ」が渦巻く、何とも息苦しそうな社会です。かつては荒廃した東京を復興させようとする熱気があったようすが、今はもうそれは冷めて、将来の希望を見出せない「行き詰まりの世界」となっています。
 そこに生きる人々にもその「閉塞感」を被っており、健全で楽しそうな未来を心に描くことが出来ないため、それを打破したいがために反政府デモを行ったり、全てを壊して世界を変えるアキラ(のようなもの)を待ち望んでいたりしています。
 遠景には光があふれる摩天楼が存在して、美しい都市が広がっているように見えます。しかし実際には、街はセックス・ドラッグ・バイオレンスなどのような反社会的行動で満ち溢れており、知的な嗜好はほとんど見られず、本能的で野蛮な人間ばかりとなっています。普通のサラリーマンのように見える人間でも、暴力的な騒ぎがあれば嬉々として見に行こうとするシーンもありましたしね、治安が悪いというよりもこの社会と人間全体が飽和・閉塞した空気になっているようです
 序盤には光があふれた美しい摩天楼をバックに、ゴミの掃き溜めのようなものを描くシーンが続いていましたが、ラストシーン、SOLやアキラたちの力で摩天楼やスラム街はほぼ全て破壊し尽くされます。
 全てが廃墟となり、さて、これが人々が望んだ結果なのだろうか?しかし、全てが破壊されたからといって、それでバッドエンド決定だとは言えないと、このアニメでは思えます。破壊されたから、それを復興させようとする明日への希望?人間はどんな状況でも力強く生きていけるんだということ?人間は進化していくということ?
 
③アキラたちが持つ力
 アキラやナンバーズ、鉄雄は、人間から外れた特殊な生命体というわけでは無いようです。劇中でAKIRAの力を説明していましたが、その力というのは、つまり「宇宙の根源的なエネルギー」のようです。
 人が橋や家のような、他の動物とは異なったものを作るということは、人が他の動物とは違った何かしらのエネルギーを持っているということかもしれない。しかし、もしそうだとしたら、そのエネルギーは他の生物も持っているのだろうか?原始生命体も持っていたのか、その前に存在していた宇宙の塵にもそのエネルギーはあるのか。…という風にエネルギーは説明されていきます。
 宇宙の塵にもそのエネルギーがあり、そしてそれをずっと受け継いできているから人間にもその力が発現したということは、AKIRAの力は全ての生命体・人間にも潜在的に備わっているということではないでしょうか?単に今までは、人間はその力を文明に費やしてきたのであって、そういうのも傍から見れば「特殊なエネルギーの発現」とも言えるのでしょうかね。劇中に出てくる「力」は、いろんなものを破壊したりするエネルギーとして発現されていましたが、しかしそういう破壊行為は人間の兵器や道具によって代替可能だと考えられます。アキラが放った大爆発は、核爆弾のようなもので再現可能です。戦車だって爆弾で破壊できるし、人工衛星もミサイルなどで破壊できるし。
 「AKIRAの力を持った人間たちは新人類であり、旧人類には絶対かなわない」、というわけではないと思います。劇中ではナンバーズが囲われていたし、超絶的な力を持ったアキラだって解剖・分解されていますし、金田が鉄雄をレーザー銃で殺す寸前まで追いつめることも出来たし。
 つまりですね巨視的に人間と「力」を見てみると、私が考えるに、人間たちは力の発現形態が異なるだけで、一人一人全ての人間に根源的かつ世界を変えられるエネルギーが潜在しているのではないだろうかと思うわけですよ。
 そして「AKIRA」で最終的に表したことも、上記のことだったのではないかと推測・総括します。

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Posted by YU