15年ぶりにプレイしたFF8の感想―青春を俯瞰した大人が描いた物語

1999年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)からPS1で発売された、ファイナルファンタジー8の感想を書きます。

私個人が初めてプレイしたのは中学生くらいでした。
約15年ぶりのプレイです。
当時はよく分からなかったストーリーも、今となってはよく分かります。
昔から好きなゲームでしたが、今プレイしても「噛めば噛むほど味が出る(分かる)ゲーム」だと思いますね。

しかしFF8ファンを自称している自分にとっても、このゲームは『賛否両論』になってもおかしくはないゲームだと明言します。

やりこみ記録

  • 全アイテム入手(アイテム欄全部埋めた)
  • 初期レベルでストーリー進行→能力ボーナス×4で強化
  • 全キャラ・GFレベル100
  • 全武器最強化
  • 全特殊技会得
  • 高レベル魔法3キャラ分100個ずつ
  • カード全入手
  • チョコボ最強化(★3つ、レベル100)
  • オメガのあかし入手

やはり一番大変だったのが『全アイテム入手』、次点で『カード全入手』でしょうか。

全アイテム入手

全アイテム入手はポケットステーションが無いと達成はほぼ不可能です。
ポケステを中古で手に入れて頑張ったので何とか上手くいきました。
ランクはもちろん最低の『7』ですが、5%の確率で手に入る『Bランク』で全アイテムが入手できるので問題はありません。
ただし、普通にやるとかなり時間がかかるので、データコピーとロード時の戦闘回数変更による『アイテム増殖&変化法』を使ったほうが手っ取り早いです。
やり方の手順は以下。

  1. Bランクアイテムを手に入れたおでかけチョコボデータを、別のメモリーカードにコピー。
  2. 本編『ただいま』でアイテム入手&おでかけ、本編セーブ
  3. 必要な物が無ければ1,2回戦闘して、本編セーブ
  4. 『ただいま』を終えたおでかけチョコボデータを消去、『ただいま』をしていないデータをコピー
  5. 本編『ただいま』でアイテム入手、以下繰り返し

なお、おでかけチョコボ限定アイテム以外は、精製・カード変化などで手に入れたほうが早いです。(例:勝負師の魂、鉄のカーテンなど)

カード全入手

カード全入手も手ごわかったです。
CC団イベントをこなした後にDISK4で手に入れるのが一番楽ですが、自分はDISK3で正攻法を使って入手しました。
カードクイーン関連が一番大変ですね…
いちいちドールに移動させないといけないし、ルールにランダムハンドがあると狙ったカードも渡しにくかったりするし。

ちなみにセイム・プラスがルールに加わると非常に難しくなります。
どれだけ高レベルのカードを使ってても、プラスがあれば関係なくひっくり返されますから。
宇宙のエルオーネは強すぎた…
「こんな時にカードやるの?」とか言いながら本気出すお姉ちゃん。

初期レベル進行&レベル上げ

初期レベル進行は、レベル変動制のFF8では楽です。
一応ドールで『サイファー稼ぎ』をやりましたが、その後は戦闘で苦戦することは1回も無し。
サイファー稼ぎ無しで初期レベルプレイするほうが、ボス戦が楽しいと思います。

全GFが入手出来たら、アビリティ×4+能力ボーナスを付けてレベル上げ開始。

レベル上げは『地獄に一番近い島』がおススメ。
ST攻にデス100を付けて、即死が効く敵のみ倒す。
もしくは、キスティスの『デジョネーター』で消し去るか。
能力ボーナスはちょっと悩みましたが、キスティスとリノアは力ではなく魔力優先、それ以外は力優先で育ててみました。

オメガウェポン撃破

最強のボス、オメガウェポン撃破では、以下の条件を付けました。

  • ジエンド禁止
  • メルトン禁止
  • 無敵禁止(リノア使用禁止)
  • オーラ禁止

オメガウェポンの戦闘パターンはネット上で解析されているので、自分が言及することも無いです。
メンバーはスコール・アーヴァイン・キスティス。
アビリティは『オートヘイスト』『早さ+40%』など。
メギドフレイム直後~テラブレイク直後までは特殊技で攻撃、それ以外は力255の通常攻撃。
キスティスはマイティーガード&ホワイトウィンドの回復・補助要員。
メテオ後、メギドフレイムが来る前に全員HP9999に回復。
…としていれば、難なく勝てました。
『ぼうぎょ』も禁止していればテラブレイクはGFを身代わりにするくらいでないと耐えられないから、もっと白熱していたかも?

でもまあ、「全員に防御無視9998の攻撃」って、すごい独特だなあと思う。
HPをMAXにしやすいFF8だからこそ出来た技なんでしょうね。

感想

グラフィックは(当時では)最高峰レベル

オープニングや劇中にたびたび挿入されるムービーですが、FF8では素晴らしい出来でしたね。
前作のFF7の時でもPS1にしてはなかなかの出来でしたが、FF8はそれに拍車がかかってます。
初めてプレイしたときは、オープニングムービーに度肝を抜かれた思い出がありますよ。

他に好きなのは、ガルバディアガーデンとの交戦シーン。
雑魚敵なはずのガ軍兵士が、めっちゃカッコよかった…
バイクで飛んで襲ってくるだなんて、敵ながら天晴だぜ。

あっ、エンディングは私ごときが評価出来ません。
そのくらいのレベルです。

 

フィールドでのキャラのポリゴンは、前作は3,4頭身くらいのデフォルメでしたが、今回は8頭身モデル。
そのおかげなのか、街にもリアルなサイズ感が生まれ、人々の生活の様子を感じることが出来た気がします。

街の数は少ないですが、どこも個性的で好きでしたね。
特に、名曲「Fisherman’s Horizon」がBGMとなったウィンヒルとF.H.は、全ゲームの中でもトップクラスで好きな街です!
ノスタルジックで穏やかに生きている人々と、街の明るさと言ったら!
F.H.はサブイベントも豊富だったから良かったけど、ウィンヒルももっとイベントあったらなーと思った。

敵キャラの造形も、前作に比べるとかなり綺麗になってます。
表皮のテクスチャなどが美しく、モンスターの質感が出てきましたね。
他のゲームと違って色違いの敵をほとんど無くしてレベルの増減で変化を付けさせたことで敵キャラの数を少なくし、そのおかげで一体一体に注力出来たのかな?と勝手に思う。

冒険的なジャンクションシステム

MPを廃止して魔法を個数制にし、召喚獣と魔法を装備するFF8ならではのジャンクションシステム。
国内だけで何百万本も販売するシリーズにしては、かなり冒険したよなあと思います。

慣れるには時間がかかるので、従来の王道RPGしか出来ないような人々には不評だったようですね。
しかし慣れてしまうとドローせずに楽に魔法を調達できるし、工夫することで序盤に高レベルの魔法を手に入れられたり、敵に応じて重視する能力を変えたりと、自由度が高くて自分には面白かったです。
シリーズモノと言えども、やはり同じようなシステムをずっと採用するより、色々変えてくれた方が面白いと思うんですけどねえ。
まあでも、万人向けのシステムだとは言い切れませんが!

そう言えば、レベル変動制を批判する人もいるようなんですよねえ。
「こっちのレベルが上がると敵が強くなる!だからおちおち戦えない!」とか。
いや、別にレベル上げたって詰まるほど難しくもならないし。
こういう人は決定ボタンだけで敵と戦うのがしたいんだろうか?
もはや困難を乗り越えるゲームそのものが向いてないような…
と、今も昔も思いますよ。

以前のFFでは召喚獣は強力な技・魔法の一つのようでしたが、今作ではかなり昇格しましたね。
なぜ普通の人間の主人公たちが強くなるかなどのストーリーに密接に関わり、(通常プレイでの)バトルではメインの攻撃手段になり、実際にGFが無ければ太刀打ち出来なかったり。
「副作用はあるが、これが無いと戦えない」という設定を、名実ともに証明したものでした。
FF2のアルテマなんて…いやこの話はよそう

名曲の多い音楽

「FF8は名曲が多い」と言われますが、間違いなく多いです!
中でも自分が好きな曲は以下のとおり!

  • The Landing(ドール試験など)
  • The Man with the Machine Gun(ラグナ通常戦)
  • Premonition(イデア戦)
  • Fisherman’s Horizon(F.H.、ウィンヒルBGM)
  • The Oath(スコール演説時など)
  • The Extreme(最終戦)
  • Eyes On Me

そう言えば、自分が生まれて初めて購入したゲームサントラがFF8でしたね~。
サントラはどっかに行っちゃいましたが、最近は代わりにYouTubeでたまに聞いたりしています。

一番好きなのはFF8のファンとして『Eyes On ME』と言いたいところだけど、本当は『Fisherman’s Horizon』です。
この曲はもう本当に、何歳になっても聞いてます。
旅行で穏やかな場所に行って散歩している時は、頭の中でこの曲をBGMにしていますね。
もしかしたら、全てのゲームの中でも一番好きな曲かもしれない。
私はノスタルジックなものに弱いので。

ストーリー感想&考察

FF8は「愛がテーマ」と言われてます。

確かにそうだと思います。
私も否定はしません。
しかし、FF8のストーリー全体を理解するには、テーマを愛だけだと捉えると難しいと思います。

私が思うにファイナルファンタジー8は、「今度のFFは学園モノだ!」ということをスタートにして、そこから『青春』と『過ぎ去りし時間』をテーマに拡張していったのです。

FF8には学園モノのパロディがたくさん散りばめられてますね。
曲がり角でぶつかる男女、問題児、混雑する食堂、綺麗な先生、学園祭、恋とか。
学園モノのお約束を既に知っている人にはクスリと来るところが多いです。
しかし単なるパロディだけでは終わらず、子供と大人の狭間の青春についてを深掘りしていったのが、このFF8のシナリオの魅力なんじゃないのかなと思うんです。

スコール君の子供からの脱却願望と、成長

プレイヤーにプレイ前から把握しておいてほしいのが、主人公たち(特にスコール)は正義感に溢れる冷徹な英雄ではないということ。
大人と子供の狭間で揺れ動き、思春期真っただ中の感受性豊かな弱い人間であるということ。

でもまあ、シド学園長がアルティミシアを倒す伝説のSeeDがスコールであることを知っているからか、緊急事態(MD層とか)でも頼り過ぎてたから、スコールの弱さをプレイヤーが感じにくくなってたのはあると思います。

スコールは最初はクールで万能な人間に思えるのですが、プレイしていくと年相応(17歳)の子供らしさも十分持っていることがよく分かります。
感情を表に出さないだけで内面は豊かで、起伏は結構あります。
幼い頃のお姉ちゃんのような存在を失うのが怖いから、一人の力で生きようとしてみたり仲間を作ろうとしなかったり。
傷つくのが怖くて他人を拒絶するだなんて、エヴァのシンジ君(14歳)みたいなものですよ。

スコールにとって大人になるということは、「自立して生きること」と思っていました。
確かに子供からは、大人は何でも出来て一人で生きられ、子供は弱いから大人に頼らざるを得ないと見えるでしょう。
ひたすら力を蓄え一人で生きていける大人になれば、傷つくことも無いし困ることも無い。
…はずだった。

しかしストーリーが進むにつれ、だんだんとスコール自身にも他人と協力しないと出来ないことばかりであることに気づいてきます。
無自覚の内に、幼い頃の『お姉ちゃん』くらいの信頼を、身近な他人に抱いていくようになります。
一番分かりやすいのがリノアでしょうが、他の仲間やガーデンの人々にも頼りにしている気持ちはあるでしょう。
本当は失うということに非常な恐れを抱いている彼だからこそ、リノアじゃなくても他の仲間が犠牲になったらかなり狼狽すると私は推測します。

スコールの最後の結論としては、親しい他人を失うことへの恐怖を受け入れてでも、他人を必要としていく大人になる。
いつかはスコールも何かを失うだろうけど、絶望するしかないわけではない。
それはエンディングの微笑むラグナの様子からも分かります。
ラグナはレインを失ったから、レインと結婚したことに後悔しているわけなんてない。

喜びも、悲しみも、受け入れて生きていかないといけない。
二度と戻らないこの一瞬を、大事にしていくのが大人なのさ。

万能感と焦燥感に囚われていたサイファー

最後はあっけなく終わったサイファーですが、スコールのライバル役だけでなく、青春モノとしては重要な役割を与えられています。
それは、青年期にありがちな『万能感』と『焦燥感』です。

彼は(ラグナが演じた)魔女の騎士に憧れた、英雄願望のある少年です。
若い頃はとかく名声を求めるものです。
いわゆる、『意識高い系』ってやつですね。
若くて未来があり、能力もある(実際、素行が悪くなければSeeDにはなれている)
青年期にはありがちな肥大した自意識を持っているからこそ、普通のSeeDに物足りなさを感じて暴走してしまう。

序盤では分かりづらいですが、大人から見ればサイファーは非常に『焦っている』ことが感じ取れます。
それはティンバーでの大統領誘拐シーンや、魔女の騎士から若き革命家に鞍替えした最終戦では如実に現れています。
確かに魔女の騎士になることは、彼の夢だったでしょう。
しかし恐らくそれは、「凄いことをやる」や「英雄になる」ための手段でしかなかったと考えます。
なぜなら、最終戦で騎士を廃業してますからね。

「いつでもデカイ事やってたいんだよ!止まりたくねぇ。俺は走り続けてみせる!」

これがサイファーを表す代表的なセリフでしょう。

若い頃は、何者にもなれるからこそ、何者かになってしまうと無限の可能性も閉ざされる。
デカいことをやっていれば他人からの承認欲求も満たされるし、希望だってある。

…エンディングでは、バラムで風神雷神と共にのんびりと釣りをしている様子が映されます。
バラムガーデンを微笑みながら見送るサイファーも、スコール同様自身の弱さを受け入れて生きていくことを決めたのでしょう。
もしスコールとサイファーが再会したとしてもケンカはせず、「あの頃はあんなことがあったね」と懐かしがるのだと勝手に妄想します。
そうなるくらい、二人ともに大人になったんじゃないかなあ。

メインストーリー上で語られない多くの設定

FF8のシナリオが賛否両論なのは、ファンの私でも認めます。

なぜかって、メインストーリーだけでは語られてない設定が多いからです。

町の人が時期限定でポツリと呟いたことなどが重要な設定を示唆していたりしてます。
ゆえにメインストーリーをどんどん進めるだけでは、よく分からずにゲームを終えてしまいます。

アルティマニアが無くとも設定は全てゲーム本編中に載せられているのですが、それを一人で全てまとめるのは至難の業です。
ですから、FF8のストーリーをよく理解したいなら、2周プレイをするか、ネット上の考察サイトを熟読するかをしたほうが良いです。
FF8はレベル変動制であり、魔法の取得方法に自由度があるので、周回プレイでも楽しく遊べます。
ですから個人的には、FF8は最低2周したほうが面白いです。

周回プレイすると、以下のことなどがよく理解できると思います。

  • アーヴァインがイデアを撃てなかったこと
  • スコールがラグナとレインの子供であること
  • リノアの母が、ラグナが恋したジュリアであること
  • シドがスコールの未来を知っているからこそ、贔屓にしていたこと
  • Eyes On Meの歌詞(これは和訳を予め調べておいたほうが良い)

『過ぎ去りし美しい日々』がテーマ

アルティミシアは戦闘中、最期にこう言いました。

「思い出したことがあるかい」「子供の頃を」
「その感触」「そのときの言葉」「そのときの気持ち」
「大人になっていくにつれ」「何かを残して 何かを捨てていくのだろう」
「時間は待ってはくれない」「にぎりしめても」「ひらいたと同時に離れていく」
「そして…」

ネット上の考察サイトでは『リノア=アルティミシア説』が唱えられており、その根拠の一つに上記のセリフが使われていますが、自分は違うと考えます。

このアルティミシアのセリフは、アルティミシア個人のセリフというより、『全てを俯瞰した神の如き存在の彼女と、FF8製作者がプレイヤーに与えたメッセージ説』を私は唱えます。

思えば、FF8には『時間』が設定の根幹を握っています。
『時間圧縮』という他のFFにもゲームにも無いような方法で行った世界の支配、エルオーネによる時空を超えた干渉、『青春』という美しい一瞬。
青春時代、子供から大人になっていく人々にとって、時間は意識しないことはありません。
今がずっと続かないことを知っていながら、それでもかけがえのない今を本気で生きていく。

FF8の代表曲『Eyes On Me』はスコールとリノアの父母の世代の曲ですが、ラグナロク内でも流れたことでスコールとリノアのことを歌ったようにも感じられる演出です。
その演出はおそらく、何かを残して何かを捨てて大人になっていく中で、『Eyes On Me』が時代を越えて残ったものの象徴を表しているのではないでしょうか。

歌詞の内容、つまるところ、『愛』です。
どんなに人も時代も変わっても、人の愛は変わらない。

 

 

子供の頃にプレイしてもよく分からなかったと思っている大人にこそ、やってほしいゲームです。

 

市販ゲーム

Posted by YU