ゆびさきミルクティー 10巻感想&総括
雑記
「既存のものに騙されるな」とかそういうことをHPに書いて採用情報を載せている企業があるのですが、既存の価値観である「新卒至上主義」の価値観に囚われていて、既卒は採用しようとしていないようでした…
自分は既卒ではないのですが、なんかそういう矛盾したアホみたいなことを書いているとげんなりしてしまいますよ。企業は奴隷が欲しいのか、今までにないものを求めているのか、どっちなんだ?
ゆびさきミルクティー 10 (ジェッツコミックス) (2010/07/29) 宮野 ともちか |
10巻
最終巻です。漫画内で残された問題は、由紀とユキとひだりと水面の関係のみ!クラスメイトの亘、児玉、東子や由紀の姉の未記とひだりの父の関係もすでに解決していますしね。
9巻ラストではひだりが高校に合格し、そして由紀に「抱いてください」と言います。8巻では「普通のお隣さんになる」と言っていたのに、これはどういうことでしょうか?あのときは自分を成長させるために、いったん由紀と離れたかった?それともただの心変わり?う~ん、どっちだろう。前者であってほしいが。
由紀は水面のことが「一番好き」でしたが、由紀はひだりが成長するのを待っていたようで、遂に水面と別れる事を決意。
この結果は悲しいですね…。由紀は正真正銘、水面のことが一番好きだったようですが、結局ひだりを選ぶことしか出来ませんでした。由紀は「恋愛」ではひだりよりも水面を愛していましたが、もっと包括的で全体的な「愛」ではひだりが勝っていたのでしょうか。男女間の愛でも、そこにあるのは「恋愛」の愛だけでなく、他の「愛」も重要なのでしょうね。
ひだりは父親に「セックスのやりかた」を聞いて、自分の成長を見せようとするけどやっぱりやめるシーンがあります。このシーンでは愕然としましたよ。普通、父親が娘にセックスのやりかたを教えて、「成長したな~」と喜ぶわけないがな。
ひだりは、「成長=善」と思っているのでしょうか。保護者の気持ちとしては、あまり成長しすぎないで欲しいと考えると思います。成長しすぎれば、最後は自分の手元から離れてしまいますからね。しかしひだりはずっと被保護者であったからか、成長することこそが保護者への義務のようにも思っているのでしょうね。だから、成長することには悪い部分は一切なく、成長のためならほぼ全てのことは許されるというような、少し極端な思想を持ってしまった?
由紀とひだりが京都に行ってホテルでセックスするまで、ひだりは伊達眼鏡をかけています。これは、8巻では「このほうが勉強に集中できるから」と言っていたのですが、それならばもう高校に合格して勉強する必要もなくなったので実生活ででは眼鏡は必要なくなると思います。どういうことでしょうか?
ひだりは由紀とのセックス中では眼鏡をかけておらず、そしてホテルから出た後でも眼鏡をかけていません。色々考えると、私が直感で思うのは、ひだりにとって眼鏡とは水面に近づくための道具だと考えていたということです。
ひだりは水面を尊敬していて、かつては「適うはずがない」と思っていました。なので、ひだりは少しでも水面に近づくために眼鏡をかけていて、そして由紀とのセックスによって「由紀は自分を一番に愛してくれている」ということを実感して自信を取り戻し、セックスの後では眼鏡をかけるのをやめた、と私は考えるのですが。どうでしょう?
由紀とのセックス直前、ひだりは「高校生は全員経験済みかと思っていた」と言います。それに、10巻最初で「一人じゃ大人になれない」とも言っていたことから、ひだりは「セックス=大人の証、成長の証」と見ているんじゃなかろうか!?
上記が正しいのなら、ひだりは今回のセックスは由紀と結ばれるためだけではなく、自分の成長のためでもあったということでしょうね。個人的に思うのは、ひだりは成長することにやっきになりすぎな気がして、大人の汚い部分にも近づいていっているような気がしてなりません…。
由紀はひだりとのセックスで、「男」となります。そして、自分の中の女である「ユキ」も失われてしまいました。男になればユキが失われることが由紀も予想がついていたのですが、遂にユキはいなくなります。
由紀にとってユキは、「ユキがいなくなれば自分には他に何もない」と思えるほど大きな要素でした。由紀は「ひだりの魅力にユキが負けた」と考えますが、まだ釈然といかないようです。
ラスト、由紀はひだりに「成長しないでくれ」と懇願し、物語は終了。
由紀がどうしてこのようなことを言ったのかは、総括でまとめていきます。
総括
総括です。この漫画の感想や総括記事を書くにいたって、ネット上の「ゆびさきミルクティー」の感想を色々見たのですが、大抵のサイトが「変態漫画」、「ラスト意味不明」などというような表面的な感想ばかりだったので、少し残念です。
だがしかし!色々サイトを見て回って、「どうしてラストに由紀があのような発言をしたのか?この漫画のテーマは何か?」ということについて踏み込んだ考察があったので、紹介しておきます。そのサイト様はもふかん!という名前で、全巻を読み直して由紀の心理などを整理してくれています。今から私も物語の整理をしていきますが、大まかな結論はこのサイト様と同じです。
まず、由紀から見た、由紀(自分)、ユキ、ひだり、水面の4人への思いを整理しておきましょうか。
由紀→由紀
ここで言う由紀とは、「男としての由紀」と定義します。
由紀は最初、あまり自分のことを男と認識していませんでしたが、成長するにつれて身長が高くなったりして、自分が男で再認識し始めます。「女装できなくなるから、成長したくない。」成長が始まったときの由紀はこのように言っています。
子供としてみていたひだりが成長してきて、由紀は彼女のことを女として見始めます。ひだりを女として見るということは、自分が男になってきているからでもあります。ひだりが女になってきたから自分が男になってきたとも言えます。
由紀は、「心までもが男になっていくのが、嫌だ。」と思っています。その理由は、「男は下心で女と接して、男は女は自分の欲望を満たすものだ」と考え、「男=汚いもの」だと思っているからです。だから、由紀は女になりたがるし、ひだりが望んでいるのにも関わらず男として接していく勇気を持てません。
そして、ひだりと水面の両方を大切にしたいのに、両方を傷つけてしまう、下心のある馬鹿な男だと見るようになります。
由紀→ユキ
由紀は昔から、女の子に憧れを持っていたようなシーンが漫画内にたまにあります。由紀が女装を始め、続けた理由は具体的にはわかりませんが、もともとひだりの女の子としての美しさに憧れを抱いていたのかもしれません。女装のきっかけは、写真屋で女装させられたことなんですけどね。
由紀は女装を始めます。続けるにつれて女装すること自体が好きになってきて、中学のときにやっていたサッカーを高校でやめてしまうほどのめりこんでいきます。しだいに、女装は由紀にとって「自分の表現」となり、「自分が持っている唯一のもの」だと見るようになります。
ひだりや水面の女の子としての美しさを学び、ユキをさらに女の子らしくしていきます。そうするうちに、由紀はユキに異性として見るようになります。ユキは自分なのに、「自分」の前に「女の子」として見てしまうようになります。
しかしユキは由紀の中の「女」を体現したものなので、由紀が女の恋人になって「男」になると、消えてしまう存在です。
ユキの価値は、一番好きな女の子である水面のために消し去ってしまうのは拒否するほどの価値だと由紀は考えています。また、由紀がひだりと「男」と「女」の関係になることでユキが消えてしまったときにも大いに後悔するほど、由紀にとって「ユキ」は大きなものだったのです。
由紀→ひだり
成長前のひだりに対しては、ほとんど保護者として愛していました。ひだりの気持ちに気づいてからは異性としても少し見るようになりますが、やはり基本的に保護者としての愛が強かったのです。
しかし、由紀は潜在的にひだりの成長を待っていて、ひだりを「女」として見れるようになるのを待ち望んでいました。ひだりの成長につれて、由紀は男としての気持ちが強くなっていきます。ただ、今まで由紀は保護者としてひだりに接していたので、ひだりを必死で守ろうとし、その結果男として欲望をぶつけることが出来ないしそのようなことをする自分に嫌悪していました。
ひだりの成長については、成長しようと自由に頑張るひだりを肯定していますが、「成長して自分から離れていくのは寂しい、これ以上成長しなくてもいい」と言う風に、否定的な意見も持っています。ひだりの胸が大きくなるような、肉体的成長に関しては全肯定のようですが。
由紀→水面
水面への想いは単純で、由紀は水面のことを、「出会ったときから異性として一番好きだった」というように考えています。
由紀の「成長しなくていい」の真意
この発言から、由紀は「成長」に何か否定的な考えを持っていることが明らかです。では、「成長」のデメリットは何か?ということを考えていきます。
作者があとがきで、「成長すると失うということを描いた」というようなことを書いています。確かに、由紀は自分とひだりの成長によって、自分にとってかけがえのないものである「ユキ」が失われました。
成長とは主観的に見れば良いものだと捉えられますが、周りの人から見た場合他人の成長はただの変化であるときがあります。つまり他人から見れば、成長は人の良い箇所をそのまま残してさらに良い箇所を増やすことではない場合があるのです。
由紀は、成長後のひだりの魅力を完璧に認めていますが、だからこそ、「今のまま成長(変化)せずにそのままの君でいて欲しい」ということを願って、「成長しなくていい」と言ったのではないでしょうか。
由紀は成長すると失われるものがあることに気づいています。だから由紀はユキを写真で撮って、どうにかして残していこうとしていたのでしょう。いつかは失われるとわかっている、かけがえのないものを。
上記の、由紀がもつ「成長」へ持つ考えは、ひだりと対照的です。
ひだりの「成長」へ持つ考えとしては、まずひだりずっと父親や由紀にずっと守られてきたので、「迷惑かけたくない、自立したい」という風に、被保護者であったがゆえにその反動で、「早く成長したい!」と願います。
ひだりは由紀のことが大好きで異性として扱って欲しかったのですが、「自分は成長していない子供だったために異性として扱ってもらえない」と考えます。だから、由紀を振り向かせるためにも、ひだりは必死で「成長」しようとします。
自分が被保護者であったこと、成長して由紀を振り向かせたい、の2点がひだりの成長への動機であり、そしてひだりは「成長=完全な善」だと捉えています。
全体的に感想
この漫画のテーマは、やはり「成長」でしょうか。成長を絶対的に良いものだとは捉えず、「成長すると失うものもある」ということを描きたかったのでしょうね。あとがき見てもわかりますが。
確かに、私個人でもそう感じますね。私も成長して、いろんなことを知って考えも変わりましたが、成長前のほうが今よりも人間や社会を信じていたのでギスギスした気持ちはあまり持ってなかったと思います。「知らぬが仏」とでも言いましょうか、以前読んだアルジャーノンに花束をのチャーリィも、いろんなことを知ったり考え方が変わったことで不幸になった面もありますからね…。
成長すると失われるものがある。だからこそ、由紀は写真でユキを残し、児玉は絵で美しいものを残していきました。由紀は自身とひだりの成長によって、自分が美しいものだと信じてならなかった「女」の部分を失ってしまいました。その代わりにひだりを手に入れることが出来たのですが、今のひだりの魅力だっていつかは失われてしまうかもしれない、だから、出来るなら成長せずにこれ以上変化して欲しくない…、由紀はそう考えたのでしょう。
この漫画は、男と女と、その間で揺れ動く少年を題材にし、成長を描いています。作者は男性で、男性だからこそ男性が持つ女性への羨望や尊敬が上手く描かれているようでしたね。
ただ、由紀もひだりも綺麗に救われてはいないのですがね…。水面に至ってはほとんどバッドエンドだし。
後、いらんこと言いますが、ロリコンとして興味深い漫画でしたな。やっぱり人間は成長すると失われるものが多くありますな。ひだりについても、成長後よりも成長前のほうが魅力を感じたし!
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