電脳コイル25,26話 感想&総括

2020年4月23日

雑記
 アニメやら漫画や小説やらの感想を書くときは印象的なシーンや重要なシーンのメモをとったりしているのですが、電脳コイル視聴中にとったメモの文章はものすごく長くなってしまいましたよ…!
 それほど濃いアニメだったということでしょうかね。

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25話 金沢市はざま交差点
 ヌルキャリアーは心の欠片を見つける探査装置だそうです。
 最も古い電脳生物、ヌルのことが大分わかってきましたよ。ヌルキャリアーは元々コイルスが作り、電脳空間から情報を引き出し、イマーゴを使用して古い空間に電脳体を移動させる機能を持った人工物のようです。そして、コイルスが無くなった今は、そのヌルたちは封印されたり削除されたりしていたようですが、まれに野生化・暴走化したヌルがイマーゴと通路を通じてこっちの電脳世界にやってきて、人間などの電脳体を分離させて交通事故などを起こしていたようです。
 金沢にもコイルスの支社があって、そこでヌルを使用した実験を行っていたようですね。だから、金沢にいたマユミは偶然あっちの世界への通路を発見できたようです。
 猫目の野望もわかってきました。猫目の父はコイルスでイマーゴを開発して人間の集合無意識を電脳空間化するという偉業を成し遂げようとしましたが、メガマスがそれを利用して父を捨てたようです。だから猫目はその復讐のために、メガネは危険だということを実証してメガマスの信頼を失墜させようとしたのでしょうね。しかし、父が利用したイマーゴを今度は復讐のために用いるなんて…。何とも業の深いやつです。
 
 勇子の「イサコ」という呼び名はあっちの空間の兄に授けられたもので、兄と呼び合うときだけのものとしていたようです。だから、最初イサコは「イサコ」とヤサコに呼ばれた時に怒ったのでしょうね。その名前は、兄と自分だけのものとして。
 どうしてイサコがヤサコを嫌うのか、それはヤサコも兄から名前を授かっていたから…。兄を取られたくないという嫉妬なのでしょうね…。
 イサコは現実に愛すべき人物はいなく、現実には苦しみしかないと思っているから、兄のいる空間を選んだのでしょう。もう、自分の居場所はここしかないんだ…と考えて。
 
 ラスト、4423はイサコを指しているのが判明。最終回に向けてのドンデン返しか!盛り上がるなあ~。
26話 ヤサコとイサコ
 これまでずっと謎が解けそうで解けなかった4423ですが、最終話で全てわかりました。4423を名乗っていた少年は、イサコの兄を失った心の傷を癒すためのプログラム(4423プログラムと呼びます)であり、その4423プログラムで作られた空間こそが「あっちの世界」であったということです。4423プログラムは通常のメガネの機能では無い、人間の意識に直接関われるイマーゴを活用したものでした。が、ある時その空間が変質し(ヤサコが迷い込んだため?)、イサコを救うためにヤサコの祖父はコイルスが発明したヌルキャリアーとイマーゴを利用して身体と電脳体を分離させてその空間に入りましたが、ヌルキャリアーは子供にしか適合しないから、そのまま祖父は亡くなったそうです。
 そして、イサコは救われその空間は今でも大黒市に残るようになります。この空間の欠片がキラバグとなって大黒市だけで見つかるようになり、大黒市にだけ古い空間が増えていく要因となったのでしょう。
 で、空間の中にいたイサコはというと、迷い込んだヤサコが(仮想の)兄と仲良くしているところを見て嫉妬。イサコは兄が偽者であり「さよならしようとしていた」のですが、嫉妬心と仮想だけど永遠に兄と暮らしたいという想いと目覚めなければならないという想いの葛藤により、記憶を失ったイサコとミチコさんに分離してしまいます。イサコは現実に、ミチコさんはコイルドメインで兄と暮らすようになったのです。
 
 …、イサコにとってプログラム上でも、兄はヤサコにとってのデンスケのように「本物」の存在だったのでしょう。だけど、自分を省みずに必死に気遣ってくれたヤサコのおかげで、人と人との絆・自分の名前という現実で生きる証を手に入れたため、イサコは帰ってきました。
 現実への想いが無かった人間が、現実への想いを手に入れたことで、帰ってこれたという事です。
 最終話のタイトル「ヤサコとイサコ」は、3話の「優子と勇子」との対比。つまりこれは、一人と一人だったのが、お互いがお互いを認めた関係になったことを示唆しているのでしょう。以前はイサコは他人からイサコと呼ばれることを嫌っていましたが、兄への執着が無くなったことと他人を受け入れることが出来るようになったため、イサコは「イサコ」を受け入れたのでしょうね。
 

 「私はイサコ、名付け親はあんただ」

 兄からもらった「イサコ」。それは兄が自分を定義したということでしたが、今度はヤサコが自分を定義した、つまりヤサコのおかげで自分が在るという最大の信頼と敬意を表しているのでしょうね。
 「電脳ペットは死んだ後、ある場所へ移り住むそうです。」
 ラストシーン、すでに消滅したはずのデンスケを、メガネなしでヤサコもキョウコも一瞬だけ見ることが出来ました。そして、まやかしの存在だとわかっていてもその想いは本物だった、ということを考えれば、このラストシーンは電脳ペットは死んでも人の心の中・想いの中に生き続けるということを表し、そして見せかけのように思えるものでもそれに対しての本気の想いが存在すればそれは「本物」なんだということを、言い表しているのでしょうね。
最終回感想が総括っぽいですが、まだ本気じゃないのさ!↓
総括
 言いたい事はいっぱいあるのですが、まずは疑問点から。
・どうして神社?
 神社はサッチーの管轄である郵政局の管轄外の領域なので、子供たちに避難場所として利用されていますが、どうして寺や他の建物ではなくて神社なのか?
 後で書きますが、このSFにまみれていそうな「電脳コイル」というアニメですが、実は日本神話的な要素がかなり多いです。世界観を日本神話的なものに統一するということと、神社は「神のおわします場所」であり人々を守護する場所であるという意味が隠されているのではないでしょうか。
・中津交差点でメガネ発売以前から事故多かったようだが?
 実際事故が多かったのかどうかは真偽不明です。情報源が都市伝説ですから。
 私が考えるに、これは本当にただの都市伝説であり、偽の情報だと思います。ではどうしてこんな都市伝説が流れたのかというと、謎が満ちていてオカルトじみているほうが子供の関心を呼びやすいからタケルが流したのだと、私は推測します。タケルはおそらく都市伝説を管理して、好奇心の多い子供を利用して古い空間(コイルドメイン、ミチコさん)を探そうとしていましたからね。
 最初から「メガネが原因だと考えられる事故多発!」と情報を流すよりも、「得体の知れない要因によって事故多発!幽霊の仕業かも?」というような情報が面白そうですしね。
・どうしてヌルキャリアーは子供だけにしか使えないのか?
 確認は取れていないんですが、自分の異世界作品の経験上、子供だけが異界を正常な状態で探索できるんだと思います。例えば、千と千尋の神隠し、フリゲのマヨヒガ、不思議の国のアリスなどですね。
 意識的な話にすると、子供は大人よりは無知であり、世界を知らないからある現象がどうして起こるのかわからず世界は不思議に満ちていると考えています。が、成長につれていろんなことを知り、全ての現象は理論的に説明出来るんだとわかってきます。大人になれば多少不思議なことが起こっても、それは自分が無知なだけで世界が不思議ではないと考えてきます。つまり、子供と大人は世界の捉え方が異なり、子供は不思議を不思議として捉えられるために不思議な異世界に順応しやすく、逆に大人は不思議なものとして捉えられないから異世界に順応出来ないのですね。
 ヌルを利用できるのは子供だけというのは、上記のようなことを表したかったのではないでしょうか。
・ヤサコが全ての違法装備を外したのにキューちゃんに攻撃された理由は?
 キューちゃんはメガバアが売っているものを装備している子供を攻撃してきます。が、6話の「赤いオートマトン」ではヤサコが全ての装備品を外しても攻撃されています。それはどうしてでしょう?
 最終話まで見て、おそらくヤサコは幼い頃にコイルドメインに入ったことで、その空間の影響が染み付いてしまったのではないでしょうか。その空間の残渣をキューちゃんがかぎつけて、キューちゃんは馬鹿だから悪いものではなくて正常じゃないもの全てに対して攻撃するため、ヤサコは攻撃されたのでしょうね。
 ちなみに、ヤサコが暗号に対しての順応性が高かったのもコイルドメインの影響でしょうね。古流と暗号は互換性があるため、おそらく暗号≒古流と考えて良く、そして古流のメタタグは大黒市の特産物であるメタバグ(キラバグの欠片?キラバグはコイルドメインの欠片)から作られるため、古流はコイルドメインの産物だと言えると思います。これが正しければ、つまり暗号はコイルドメインが起源となっているため、ヤサコは暗号に対しての順応性が高かったのではないでしょうか。
 さて、次は世界観について。
 「電脳コイル」は電脳世界が発達した世界観ですが、このアニメの演出上他にも世界観は存在すると思います。私が言いたいのは、このアニメには電脳的世界観の他にも、日本神話的世界観と子供の世界観が存在するということです。
・日本神話的世界観
 まずこの、SFとはかけ離れていそうな日本神話的異世界ですが、視聴者が最も「日本神話だ!」と感じたのはおそらく19話の「黒い訪問者」でしょう。この回では、キョウコが異世界(コイルドメイン)にヌルに連れられていったとき、りんご飴を渡されて食べようとしますが直前でやめます。これは、千と千尋の神隠しで千尋の両親が食べ物を食べて豚になってしまったシーンなら、みなさんも知っておられるでしょう。ちなみに、この「異世界の物を食べると帰ってこられなくなる」というのは日本神話だけじゃなくて世界中の神話に載っているものだそうです。詳しくは冥界の食物というページで。
 後、大黒市は七福神の「大黒天」、葦原かんなと中津交差点は「葦原中国(なかつくに)」、タケルは「ヤマトタケル(?)」のように、日本神話に登場する名前が由来となっていそうなものも多いです。上記の疑問点にある神社のことも。
 そして、シナリオで最も重要な要素となる日本神話的考えが、自分の名前を思い出すことが異世界から戻ってくる鍵となるということです。これは、千と千尋の神隠しでは、千尋が名前を取られて「千」の名前で暮らしていましたが、ラストは「千尋」を取り戻して現実世界に戻ってくることが出来ました。フリーゲームのマヨヒガでは、これも名前を取り戻すことで現実に戻ってくることが出来ました。
 マヨヒガ作者様のサイトからこっそり引用させてもらうと…

名こそがその人間を司り、性質を顕わすものであり、他人に名を知られることにより支配されてしまう、というのは世界中に共通して流布される伝承である。これを逆に活用して、魔物に狙われやすい子供のうちは「糞丸」など卑蔑なる言葉を用いて名とし、それらから身を守る習慣もアジアを中心としてよく見られる。

 …という風に、名前はその人間の性質そのものを表すかなり重要なものなのですね。最近はペット感覚で子供に名前を付けている親が多いですが、名前というものは一生自分と関わるものであり、それから受ける自己への暗示とその影響は多大なものとなるでしょう。「名は体を表す」とは、良く言ったものです。
 イサコはラストシーンで、ミチコさんの「ユウコ」という呼びかけとヤサコの「イサコ」という呼びかけの中で、「イサコ」を選びました。仮想空間ではなくて現実で「イサコ」を手に入れることが出来たのです。それはつまり、現実で生きる証、辛い現実かもしれないが「勇」ましくあろうとすること。日本神話的世界観がこのアニメに組み込まれていたのは、この「名前の価値・意味」を演出やシナリオ上で描きたかったからなのではないだろうかと私は思うわけです。
・子供の世界観
 「電脳コイル」は、子供が主人公であり、主に子供たちが行動・活躍していくストーリーとなっています。基本は子供と子供、もしくは子供と敵っぽいもの(サッチーとかイリーガルとか)が争っています。子供たちと大人もたまに争いますが、それは人間と人間との争いではなく、やはり大人と子供の争いだったと思います。つまり、子供は大人を「大人」として捉え、大人は子供を「子供」として、住み分けが出来ているんだと思います。子供は子供の世界で、大人は大人の世界で生きているのです。
 子供は子供の世界で生きていると感じるシーンは例えば、知らない大人がいる他人の民家に入ってサッチーから逃れられない(大人なら大人として、他人との付き合い方を知っているから利用できるかも)、どんなに不思議な現象やそれで子供が被害にあっても極力大人には頼らず自分達で何とかする、大人から隠れて違法なものを持って子供同士で楽しむ、噂程度の信用しか無いのに都市伝説を収集して情報を手に入れようとする(大人ならちゃんとした文献などのしっかりしたソースを確認するだろう)、などですね。
 ストーリーも子供の世界の中で終わっていますね。裏がありそうなメガマスの実態の全ては描かれていないし、大人たちが言う言葉は子供にとって絶対的真理でありそれ以外はまやかしだという風もないですし。ラストは、子供が子供を救い人間として関わったというような感じで終わってます。
 この、「子供の世界観」を考えると、作者の言いたいこともわかってきます。それは、「ずっと変わりたくない・苦しみたくないという子供から、痛みがあっても生きていくことを選んで大人になる」ということ。イサコは兄との永遠が約束されたコイルドメインから、ミチコが言う「大人になること」を受け入れて痛みのある現実に戻ってきました。ヤサコは金沢では他人と同調してマユミを無視したりしていましたが、ラストでは「イサコを信じるな」という周りの言葉を振り切ることでイサコを救うことが出来ました。
 ヤサコは周囲に逆らった、イサコは他人を受け入れたことで二人は同じ場所である「大人になる」というところに行き着いたのです。世界の描写を子供の世界観に徹底したのは、この「子供の成長」を描きたかったからなのではないでしょうか。(参照ページ→まとめwiki アニメージュ2月号電脳コイル特集)
・SF的世界観
 最後のSF的世界観ですが、まあこれは前二者に比べればわかりやすく、またこのアニメの看板となっているので視聴者はこの世界観をベースにして「電脳コイル」を楽しむでしょう。
 この世界観では、技術的な面白さはもちろん、その技術から発展した「想い」というものが重要となってきますね。この想いの重要性もやはりそれなりにわかりやすく描かれており、例えば24話のデンスケを失ったヤサコの独白、最終話ラストの「電脳ペットは死んだ後、ある場所へ移り住むそうです。」という、例えまやかしや失ったものでもそれに対して抱いた想いは本物であり心の中で在り続けるという意味の言葉などがあります。
 客観的世界の「本物」と主観的世界の「本物」は異なる場合があります。他人から見ればこんなの偽者だ!と思うものでも、当人にとってはそれは本物だったり。かつては、電話は偽者だと思われ、次はメール、今はインターネットでしょうか。偽者だと言いたがる人は多いですが、それらを使用している人たちにとってはそれは本物。電脳世界だってそうです。子供たちはそれこそ文字通りに必死になって電脳空間を楽しみ、そして悩みます。
 たとえ偽者だと思われるようなものでも、それに「本物の想い」を持っている人がいる。そんなことを伝えたかったのではないでしょうかね。
 …、これで総括は終了です。いやはや、本当に考察のしがいのある、濃いアニメでしたよ。
 監督がいろんな名作アニメに関わっている経験のある人だからか、演出や設定などに関してものすごく良く考えられて作られたアニメだと思いますよ。色んなサイトを巡って考察の材料としましたが、まだ私にも気づいていない隠された要素がまだありそうですし。まあ、少々詰め込みすぎて子供には難しいか?とも思ったり。でも、それほど監督の伝えたいことがいっぱいある、精力的に作られたアニメだったっていうことかな!
 個人的には文句なしのオススメ作品です。隠された要素や設定がいっぱいあるアニメですから、BDBoxを購入してじっくり見るのがいいかも!?(この記事書いているときはまだ発売してないけど)
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アニメ

Posted by YU