アニメ版ニアアンダーセブン 13話 感想&総括
雑記
別れ、新しい出会い、そして…
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13話 荏の花に、時は流れるの湯
夏が終わっても、まゆ子の日常は続いていくお話。
1話同様、最終話でもまゆ子とニアの極貧生活が描かれます。あれ…何だか…悪化しているような…。
雑誌の切り抜きと、松茸のお吸い物の残りカスをおかずに、水(戦時中のおかゆ?)を食するだなんて、まゆ子の行動にニアですらドン引きしているよ!まゆ子のヤク中的行動とニアの絶句の対比がかなり笑えますww
かつて宇宙人を乗せてきた母船が何故か無くなってしまいましたが、宇宙人や人間たちは特に気にせず、いつも通りの日常を送っています。ま、結局母船があろうが無かろうが、今の生活に全く関係が無かったのですからね。
宇宙人たちの様子は、端から見れば何でもないことに不必要なほど不安を抱いている私たち人間へのアンチテーゼのようにも思えます。
思えば、人間社会の通念には不安を煽る要素がかなり多いですよね。「~をしないと将来生きていけなくなるぞ」とか「勉強して新卒で良い会社入って定年まで勤めなさい」とか色々。しかしそういうのって結局、幸福というものが明確に規定されていないにも関わらず見切り発車的に、(深い意味での)考え無しに、押し付けられていることが多いと思いませんか?
この世は自由で愉快であるべき、そんなことを宇宙人を見ていると感じます。
まゆ子は、日常が変わっていくことが怖くて、悲しかったと、自分の気持ちを打ち明けています。
ニアのことも荏の花湯のことも宇宙人のことも受験のことも自分のこれからのことも、何もかにもわからないけど『それでいいか』ということにしているようです。
日常を大きく変えることがあろうとも、それはそれで、その場その場で無理に抗わずに生きていくことにしたのでしょう。
中盤ではこれはまゆ子の自我を手に入れる物語のようにも思えましたが、もしかしたら『自我を手に入れる』ということすらあえて意識しなかった作品なのかもしれません。無理に自我を手に入れようとすると、それはそれでその概念に縛られることになります。
もしかしたらまゆ子は、自我を手に入れるということを意識せずに、手に入れたのかもしれません。それまさしく、本物の『自我』でしょうか。
総括
漫画版を先に読破したので、まずは比較から。
大まかな設定やテーマなどに関しては、漫画版とアニメ版はほぼ一緒です。エピソードは結構異なっていましたが。
一応wikipediaには、「漫画版のほうがコメディ色を前面に押し出している」と書かれていますが、漫画版もかなり切ない雰囲気を醸し出しています。漫画版ではまゆ子の人生の選択とかに大きく影響していた弟の存在ですが、アニメ版では登場していません。その代わりに、荏の花湯の買収問題や合コンバックレなどが登場していますね。
貧乏エピソードに関しては優劣つけがたいですね。漫画版の栄養失調ネタとかも最高だけど、アニメ版の松茸ヤク中も最高だ…
う~む、どうして私は金持ちネタよりも貧乏ネタのほうが好きなんだろう。漫画やアニメではお金持ちキャラがカップラーメンを見たことが無いとかそういうネタはよくありますが、貧乏ネタってまだ少ないほうですよね。エッセイ漫画などではよく見かけますが、創作物では少なめ?
笑える程度に意地汚い貧乏ネタしてくれるもんですから、個人的にかなり笑えましたよwwあの微妙にわからんでもない哀れさは、絶妙!
やはり漫画版同様、アニメ版でも宇宙人の生態とか、どうしてレトロな生活が今でも多く残っているのかとか、ニアの生い立ちとか、まゆ子とゲンゾー君とカーナの三角関係の決着とか、宇宙人のアンテナはマジで大した意味を持っていないのかとか、レベルを分けている意味と仕組みは何なのかとか、そういう疑問は一切解決してくれません。
しかしおそらく、そういう疑問の解消はあえてしなかったのだと思います。この世は結局わからないことだらけで、中途半端に知っても自分に対して影響を与えないとか、そういう意味も持たせているんじゃないかと勝手に推測します。
宇宙人たちにとってはアンテナありと無しとじゃあ格が違うようですが、その意味を知らなければ「どうってことない」です。しかし知ってしまえば「ああ、やっぱり格が違うのか」と納得する可能性がありますが、じゃあ知らないときの気持ちは嘘だったのか、とか思ってしまいます。
自分の将来もわからないことだらけで、絶対なんてありません。自分がいつどんな時に幸福だと感じるのかだって、まだまだわからないでしょう。
だからこそ大事なのは、『今』であり、「今、あなたはどんなことに対して憧れたり満足感を得たりしているのか」ということが重要になってくる、とは思いませんか。
私の考察が正しいかということもわかりませんが、とりあえずこの作品は、人間と微妙に違う宇宙人を見たり見られたりすることで、お互いの変な慣習とかそういうのに疑問を抱くきっかけになるようなテーマなども扱っているのかもしれません。