新世紀エヴァンゲリオン 旧劇場版EOE 感想

雑記
 何か面白いフリゲは無いかと思って2chのフリゲ紹介スレなどを覗くと、自分の知らないゲームがあるわあるわ。
 結構フリゲはやってきたつもりですけど、まだまだやりつくすことはできないと感じました。


25話 Air
 EOE、つまりThe End of Evangelionとも呼ばれる劇場版エヴァンゲリオンの感想を書いていきます。劇場版はTVの25,26話のリメイクらしいですね。TV版の終わり方も一応シンジの気持ちにケリはついたのですが、やはりエヴァの世界観にケリがついていなかったので当時は不評が多かったようですね。私の実家ではエヴァを見ることが出来なかったので、当時のエヴァファンの心情とか全くわかりませんでしたよ。
 しかしネットで劇場版終了後のエヴァファンの様子を調べてみると、劇場版でもファンの熱意は消化し切れなかったようですね。(一応)小説家の滝本竜彦も、EOEが終わった後に自分の中の「エヴァ」を消費するため、小説を書いたりみんなの二次創作を読んだりしていたようですね。
 劇場版はTV版のほぼ全ての謎や世界観を消費しようとしていますので、内容がかなり濃く思えます。なので最初見終わったときは、本当の尺は1時間半ほどなのに2,3時間ほどに思えましたよ。これまでの設定を思い出したりしていたので頭を結構使っていたからでしょうかね。
 これまでいろんなゲームや漫画などの記事には自分なりの考察をまとめていましたが、今回はあえて書きません。エヴァの情報のほとんどをこのウェブサイトが取り扱っているようで、このサイトよりも一歩進んだ考察というものをすることができないと思ったからです。
 上記の理由から、今回は純粋に感想だけ書いていきたいと思います。
 
 25話はシンジが最後の使徒であるカヲルを殺してしまった24話からの続きですね。シンジはカヲルの殺害のことで、冒頭からかなり病んでいます。
 その後、アスカの裸体とシンジの自慰シーン。劇場版はTV版よりも性的描写や暴力描写の多い、大人向けのアニメとなっているようです。主人公がギャグでなく真面目に自慰するなんて、アニメでは始めて見たと思います。
 使徒を全て倒した後からは、人間同士の戦いが始まります。ネルフ対戦略自衛隊、弐号機対9体のエヴァ。どの戦闘もかなりエグイ戦いで、思わず目を逸らしたくなります。手を挙げている人を容赦なく撃って、倒れた後にもとどめの弾を撃ち込んだりするシーンはかなり印象的。内部電源が切れた後に弐号機がハゲタカに食われる動物の死骸にように無残に壊されるシーンなんて、子供が見れば間違いなくトラウマものじゃあないでしょうか。腸のようなものが引きちぎられるシーンは、もう子供という歳ではない私から見ても、勘弁してくれと言いたくなります。
 劇場版は謎が全て消化されていき、エヴァンゲリオンの全てが終わりに向かっていく様が見えてかなり燃えました。一体最後はどうなる!?最後は世界やシンジはどうなってしまうのか!?と、気持ちが前のめりになりながら次の話である最終話を見ました。
26話 まごころを、君に
 サブタイトルは、「アルジャーノンに花束を」の邦題だそうです。「アルジャーノンに花束を」の内容とエヴァってあんまり共通点が無いような気がしなくも無い。
 弐号機の無残な姿を目の当たりにしたシンジが、量産型エヴァをなぎ倒していくのかと思っていたのですが、そんなことはなく初号機は量産型に捕らえられてしまいます。シンジの絶叫は怒りに繋がるものではなかったのだろうか。
 この後はゼーレとゲンドウ、そして綾波レイが世界を変えていこうとします。ゼーレはエヴァで目的を達成しようとして、ゲンドウはアダムとリリスの融合で目的を達成しようとしていたのかな?ゲンドウは最後でレイに拒絶されますが、レイはゼーレの方法で目的を達成しようとしていたのか、自分なりの方法で人類補完計画を達成しようとしていたのか、もう少し調べてみる必要がありそうです。
 人類補完計画の発動によって、全ての命からATフィールド、つまり心の壁が取り除かれてLCLに還元され、全てが一つになっていきます。ゼーレもゲンドウもそれが望みだったようですが、両者とも最後に行き着くところは同じだったということでしょうか?ただ方法が違うだけ?
 シンジの他人と自分との関係について悩むシーンがありますが、悩みの内容はおおかたTV版と同じようです。いつか見捨てられる、だから自分も他人も好きになれない。そんな自分を助けて欲しい、一人にしないで!
 自分が嫌いだとウジウジ悩んでいるにも関わらず、なんだかんだで他人よりも自分のことが第一だとアスカはシンジを攻めます。シンジは「助けて」と懇願しているにもかかわらず、アスカはシンジを突き放すような態度を取り、シンジはアスカの首を絞めます。
 シンジがアスカの首を絞めるシーンはエヴァンゲリオンの中で最高に良いシーンだと思います。別にアスカが首を絞められているのが気持ち良いとかそんなんじゃなくて、他人を傷つけることを極端に避けていたシンジが積極的に人を殺そうとする心情の変化と、そのシーンに似合わなすぎて逆に最高に感動させる「Komm, süsser Tod 」がかかり、「新世紀エヴァンゲリオン」が終わりの終わりを迎えようとしているという雰囲気が出ていたからです。
 「Komm, süsser Tod」が流れながら色々な表現技法を使い、シンジの心情がいかなるものになってきたのかを上手くかつ感動的に描写できたと思います。 シンジは「他人が自分と同じだと思っていた、本当は現実は嫌なことが何も無いと思っていた、他人は自分をわかってくれると思っていた」そうで、これらはただの自分の思い込みだと悟ったシンジは、自分を裏切った世界の破滅と自分の破滅を願います。
 しかし、人類補完計画が進み全てが一つになってシンジの望んだそのままの世界になっても、シンジは他者がいない世界はおかしいと思うようになります。ATフィールドが無く心の欠けた部分が無い世界よりも、傷つく可能性のある他者がいる世界を望みます。「いつかは裏切られる、見捨てられる。だけどもう一度みんなと会いたい
 この後自分の体と融合しているレイの手を引き抜き、握手します。おそらく、握手というのは一人では出来ない、他者がいて初めて出来る行為であることを示していると思われます。手を取り合って生きることは他者がいなければ出来ません。手を取り合う喜びは一人では決して感じえないことでしょうね。
 
 最後の最後、他者がいる世界を望んだシンジは、荒廃した地球の浜辺でアスカと共にいました。その後アスカの首を絞め、アスカがシンジの頬を撫でて、シンジは嗚咽を漏らし、アスカは「気持ち悪い…」と呟いて終劇。
 最初見たときはこの一連のシーンがどういうことなのかわからなかったし、どうしてこのシーンを最後に持ってきたのかがわかりませんでした。ですので色んな考察サイトを巡ったりしましたが、やはりあのシーンは旧劇場版最大の謎だそうで、これだ!という答えは無いそうです。
 とりあえず私個人の考察を書いてみると、まずシンジとアスカだけが浜にいたのは、シンジは他者がいる世界を望んだのでATフィールドを再構築して自分を形作れたからあそこにいたのでしょう。しかしアスカはどうしてLCLから脱することになったのでしょうか?シンジが他者を望んでLCLから脱したのなら、アスカも他者を望んだから脱することが出来たのだと思います。アスカはよく一人で何もかもやろうとしていましたが、そんな強い自分を他者に見てもらいたかったかもしれません。
 アスカの「気持ち悪い…」という発言は、開発インタビューか何かで呼んだことがあるのですが、あれは監督が声優さんに「目の前で男が自慰していたら何て言う?」と聞くと「気持ち悪いと言う」と返されたそうなので、その発言から台詞を作ったそうです。ということは、シンジのあのときの行為は自己満足の究極なのかもしれません。結局、シンジが望んだ他者のいる世界とは自分本位のものであって、他者ではなくて自分が大切だったのかな?
 他の考察サイトでは、アスカがシンジと一緒にいたのはアスカは全てが一つになる世界よりもシンジと共に生きたいと願ったから、と書かれていたりします。どれが正解かは製作者のみ知るので、視聴者は勝手に議論して楽しんでいればいいのかもしれません。
 全体を見て、やっぱりエヴァは演出が斬新だったと思います。一瞬で変化していく画像や量産型エヴァにレイの顔が気味が悪いほどに一杯発生したり、エヴァファンを映したりファンレターを実写で映したり。エヴァ以前の表現技法の歴史などはほとんど知らないのですが、現代の作品よりも斬新だと思えるエヴァは、絶対的に考えても斬新なものだと思います。
 エヴァが社会に与えた影響は計り知れないでしょう。最近では「新劇場版エヴァンゲリオン 破」のブルーレイが歴代最高の売り上げだったりしますし、まだまだエヴァは終わらないようですね。新劇場版の最後はエンドオブエヴァンゲリオンになりうるのか、わくわくしながら今は待ち続けることにします。
1~4話 感想
5~8話 感想
9~12話 感想
13~16話 感想
17~20話 感想
21~24話 感想
TV版25,26話 感想

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Posted by YU