アニメ版プラネテス25,26話  感想&総括

宇宙の中心で「アイ」を叫ぶ

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25話 惑い人
 フォンブラウン号クルーに選ばれたハチマキの、惑う日々。
 一人で生きて自分のやりたいことだけを追求していくことを決め、ハキムを殺す覚悟もあったハチマキは、自分の帰るべき場所と同時に行くべき場所も無くしたように見えました。やはり、無駄だと思える全てのものを切り離してしまうと、自分のやりたいことなどにも多大な影響が出てきて、そして心全体が萎んでいってしまうのでしょうか。木星に行くことなどが、本当に唯一の自分の人生の目的?自分のわがままを果たそうとするのなら、愛する人たちと関わっていきたいという欲望も、木星に行くのと同様に果されようとするべき、なのかな。結局ハチマキの欲望全体の中にも、人と関わりたいというものがあったのだろうかと思いました。
 バイクで事故って死にそうになったハチマキは、あることを悟ります。それは、「全ては宇宙の一部であり、全てが繋がっている」ということ。自分の生きる目的に他者を置かずに生きてきても、やっぱり多くの人と出会い、関わり、そして今自分はここにいる。他者がいなければ今のハチマキはおらず、宇宙に出ることすら出来なかったのでしょう。
 「宇宙」というのは、地球から~km離れた場所にある空間とかじゃなくて、本来地球と宇宙の境目なんて無かったのです。一応人間が規定したものがあるだけ。境目は曖昧、人が生きることも曖昧、他者との関わりも曖昧。だからこそ全てが一部でしかなく、一部になれて、繋がっている。そして繋げているものは、巨視的な意味での、愛?
26話 そして巡りあう日々
 最終回。宇宙は巡る。
 このアニメってたまにOPがマイナーチェンジしていますね。ハチマキともう一人のハチマキが相対するシーンがあるのですが、25話では背中合わせ、26話ではもう一人のほうが消えていきました。それは、惑いが無くなったことを意味しているのでしょうか。
 このアニメに登場してきた色々の人間の顛末が描かれています。特にテロリストのハキムとルナリアンのノノのやりとりは面白いと思います。貧困国の人間として搾取する側の裕福な国を恨んだハキムは、「国籍などによって差別をされるのはおかしい」というような考えを持っていたのでしょう。そして「宇宙からは地球上に国境線は見えない」という言葉も、基本的には不幸な国が好きな言葉でしょう。だけど、これまでハキムたちがやってきたことは、「先進国の人間だから制裁する」というような、逆差別を行っていたという面もあったと思います。つまり、ハキムとノノのやりとりの中での「地球に国境線が見えない」という言葉は、ハキムに対して「国に囚われているのはあなただ」という意味があったのでしょうね。ノノ自身ははそういうつもりで言ったのではないでしょうが。
 ハチマキのタナベへの告白は原作準拠。だけどBGMや地球の美しさが相まって、何とも良い感じです…。これまでの二人の関係とかハチマキの他者を拒んでいたことなどを思い返すと、かなりのカタルシスが得られましたよ。ラストで産着を干そうとするシーンがありますが、それは新しい人間の誕生、そして宇宙がまたさらに新しくなることを示しているように思えます。
 そして、また多くの何かが多くの何かと偶然巡りあう、そんな日々が続いてくのでしょう。
 
総括
 プラネテスの根幹のテーマはアニメと原作では同じなので、そこらへんはあまり書かなくていいかな。25,26話感想でそこらへん、ほぼ書ききっていますしね。
 というわけで、総括はアニメならではの箇所をまとめていきたいと思います。
 まず、SF設定がアニメの方が詳しいと思います。原作でも作者のものすごいSFとしての力量を全力で見せ付けられましたが、アニメではJAXAの協力やNHK、サンライズの力も加わって、原作以上の練り上げられたSF設定になっていたと思います。まあ、骨格は原作の時点で完成されていたわけですから、それにもう少し肉付けしただけだったかもしれませんがね!
 宇宙服などは現在の技術に沿ったものとして再デザインされたようです。船外活動シーンではその宇宙服の噴射剤を使って自由自在に動くのが、何とも宇宙らしいように思えます。視界にいろんなウィンドウが開いたりするのも、現実で作ろうとしているのかな。やっぱり、そういう近未来技術は心躍りますね!
 他にもこだわりはたくさん見えて、無重力での人の動き方や月での低重力の生活などに細かいこだわりが見えて、シナリオそっちのけでも楽しむことができました。特に、セブン内での足を固定するしぐさがかなりこだわっていて面白い。
 田辺の性格もアニメと原作では少し違います。愛を重視しているのは変わりませんが、アニメは原作よりも人間らしい面が増えているように感じました。最初はとんがっていたけど、話が進むにつれてソフトな感じになっていくということは変わりませんがね。
 原作では田辺が自分の愛に疑問を抱くようなシーンは確か無かったと思います。しかしアニメでは24話ラストで疑問を感じています。結局一線を越えることは無かったのですが、あれで身体的にも精神的にも参ったから地球に戻ったのでしょう。そういう惑う箇所もあるのがアニメの田辺ですが、原作では一貫して迷いの無い超然的な人間でしたね。
 どうしてこういう改変をしたのかは、おそらく原作では超然としすぎて多くの人間に受け入れられることは難しい、というのがあったのかもしれません。やっぱり漫画とNHKアニメとじゃあその作品を楽しむ人の数が圧倒的に違いそうですしね。それにアニメは何回も再放送されるし。
 アニメでは原作よりも多くの人や組織が登場しています。原作よりもハチマキの周辺が賑わっている、と言えます。逆にフィーのエピソードとか自称宇宙人話とか田辺の過去とかがカットされています。まあ、アニメ制作が原作に追いついてしまったというのもあるかもしれませんが。
 というわけで思い返してみると、最初は田辺が主人公っぽい登場をしておきながら、話が進むにつれてハチマキがほぼ全ての話に関わる主人公になっていっていますね。ハチマキがあまり関わらなかったのって、ドルフくらいかな?
 色んな話が描かれていますが、近未来の宇宙を背景にしながらほとんど全てに「夢」とか「挫折」とかが描かれていたと思います。そういうのは群像劇と言うそうですね。アニメでは「これまでの話を総括する」という演出が多用されていました。そうやって過去を振り返ることによって、頭の中だけで論理を組み立てていくだけでなく、経験による実感を伴う思想をハチマキが持つことによって、視聴者もハチマキの考えに共感しやすくなっていたと思います。思考回路がちゃんとわかりやすく示されている、ってわけですね。
 プラネテスのテーマを簡単に表すと、「夢」と「愛」なのでしょうか。夢というのは個人で見るものだと思いがちかもしれません。が、その夢を持つ自分に至るまでにも、直接的にも間接的にも膨大な人間と関わって出来上がってきたのでしょう。宇宙の知識が無ければ宇宙を夢見ることもなく、食に困るほどの状況ならその問題を解決するまでは余暇を楽しむことも無く。先人、周囲の人間、その他全ての宇宙が積み重なって、今この一瞬に自分が存在する…。
 
 とまあ、このアニメは大人から子供まで深く楽しめて、近未来技術のような理系的、人の感情や社会問題などの文系的魅力の両方がある、一級品のアニメだったと私は総括します。
 
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Posted by YU