人間失格 感想

雑記
 民主党に投票した人は年を越す前までに懺悔しておきましょうね。
 なんてことが言いたいほど、全方位ガチでやばい感じになってきていますね。まあ予想通りですが。


 人間失格 感想
 太宰治著作の、日本で最も売れた小説のひとつである人間失格を読了しました。
 もうこの作品についての説明なんて一切要らないほど、知名度と人気があるでしょう。少し「小説」というジャンルに興味を持った方なら誰でも読んでいるんじゃないのだろうか?内容がアレなだけに、教科書にほぼ間違いなく載る夏目漱石の「こころ」よりは実際に読まれたことが少ないのでしょうが、作品のファンの数はおそらく同レベルだと思います。
 この作品が後世に与えた影響はすさまじく、よく漫画や小説でも「人間失格」のパロディが出てきたりすることがあります。私の敬愛する滝本(敬愛はしているがあえて呼び捨て)の超人計画にも思いっきりそのまま出ていたし、絶望先生なんかも人間失格の主人公にそっくりな感じですし。
 
 人気の秘訣はやはり、読みやすい文体、悲壮感あふれる主人公の思想、比喩を効果的に使った「上手」な文章、そして読者全てに共感を持たせるような進行にできたことでしょうか。それに超長編というわけでもないしね。
 同じ時代の小説で人間失格のようなテーマを前面に押し出した小説は読んだこともないし、現在でもこのようなテーマの小説は少ないと思います。昔ならなおさらこの作品はかなり斬新で新時代的なものでもあるのではないでしょうか。
 物語は、「はしがき」と「手記」と「あとがき」から成っています。はしがきとあとがきでは物語の主人公とはまた別のこの本の作者のような立場にある人間が、主人公大庭葉蔵を第三者としてみているようになっています。しかし大部分は大庭葉蔵の手記からなっています。
 最初のはしがきで3枚の写真を紹介されますが、それがこの作品の主人公の時期によっての心理状態をわかりやすく説明するものとなっています。1枚目は奇怪な顔で笑う少年、2枚目は作り物のように美しいが「生」のない青年、そして3枚目は何の特徴もない死相の顔をしている男の姿。これは第一の手記、第二の手記、第三の手記にそれぞれ対応しています。
第一の手記
 幼児期から大庭は、本当の幸せとか苦しみとか人間の本質を理解できずに、ただただ恐怖に怯えるような少年でした。そこで考えたのが「道化」。仮面をかぶって本当の自分を偽って、ただ表面的なことで人を表面的に笑わせることによって、彼は「本物」から逃げることになりました。
 こういう心理を見たら滝本作品思い出すなあ~。ネガハピじゃあ本当の感情と信じられるものを追い求めていたし、NHKじゃあ大庭のような「何がなんだかわからない」という悩みのおかげでひきこもりになったのも同然でしたからね。
 心の奥底では人を信じることなんて出来ない、そういう人間が今のニートやひきこもりだと思うのですが、大庭は「道化」になって人気者になったのが彼らと決定的に違うところでしょうか。コミュニケーション能力さえあれば自分はひきこもりになんてなっていなかった、と言う人が多いですがもっと根本的な、人を信じているということにしておくことが出来なければ問題は解決されないと思います。
第二の手記
 第二の手記は、自分の「道化」を見破られた箇所から情死事件を起こすところまで。
 大庭は自分の道化を見破った男に、自分の心の奥の陰惨さを見せることになります。いわゆる「お化け」の絵を描くことによって。過去の芸術家たちが気持ち悪い絵を描いてきたのは、それは単なる人の本当の姿だと大庭は考えます。
 そして東京に出た大庭は、共産主義秘密会合に出ることになります。別に彼は本気で共産主義を崇拝しているわけはなく、そこの「非合法」という空気が好きだったからです。それにその会員達も大したことでもないことをかなり重要なもののように扱ったりするような、つまるところ「ごっこ遊び」のようなものだったのでしょう。自分達は他のやつらとは違ってすごいことをやっている、これはとても危険なことで自分達にしか出来ないことだ、なんてことを思っているのではないでしょうか。まるで「グミチョコレートパイン」のような考えです。そういう人は昔からいるんでしょうね。
 次は情死事件です。大庭と一緒に自殺しようとした女の名前はツネ子と言い、少々貧乏臭いような感じの人です。しかしそんな彼女でも、これまで人を本気で愛したような経験がなかった大庭が初めて愛した人だったらしいです。それは本当の男女の恋ではなく単なる同情だったのかもしれません。しかし境遇的に孤独だった大庭には、彼女は唯一自分のように侘しい人間だったと思っていたのかもしれません。
第三の手記
 情死事件以降は、大庭は人間の正常な生活を送ることが出来なくなってきます。事件によって親類からは勘当寸前レベルですし、いろんなところを連れまわされた堀木の本当の姿を知ってしまったし、そして大庭の人生で最も大きな事件ともいえる妻が犯されたことなど、人間不信の大庭にとっては大きすぎることが次々と起こってしまいます。
 しかし大庭は自分を脅かしてきた「世間」というものがわかってきました。大庭の考えを要約すると、世間とは絶対的な世界ではなく自分の目の前に現れるものたちの総称みたいなもの、ということしょうか。つまり、世間とはただの個人の集合体なのです。「世間から~言われる」とか「世間じゃあ生きていけない」なんて言葉は、ただその言葉を発している人が誰かから何か言われたり、相手の生き方が嫌いだから自分の好きな生き方に変えさせたいというだけのことです。ただ目の前の困難さえ退けていけば、「世間」で生きているのでしょう。
 そうして少し気が楽になってきたときに起こったのが、人を信じすぎる女であるヨシ子の強姦事件。これによって大庭は人生の全てに絶望し、アルコールと薬物中毒に陥っていくことになります。犯した男を恨むという感情は無く、代わりにこの世の全てへの疑いと恐怖を味わうことになります。
 アルコール中毒からモルヒネ中毒へ。そして精神病棟へ連れられ、最後に行き着いた場所は故郷から少し離れた寂れた茅屋。そこで60近い変な婆さんと一緒に静養することに。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

 薬物中毒となって廃人となった大庭は、自身をそう呼びます。大庭の考える、人間を人間たらしめるものって何なんでしょうか?彼は普通の人間に備わっている何かがないから、彼は人間ではないのでしょうか。私が考えるに彼と普通の人間で最も違うのは、この世の全てへの不信があることだと思います。
 彼が見てきた人間は、互いの不信の中で明るく朗らかに生きていました。近くにいるときは親しみを持ってほめたりしていたにもかかわらず、離れると悪口ばかり。しかし世間の人々は、自分のように相手もそうしていると考えずに人を信じています。大庭はそれが許せない性質だったのだと思います。ネガハピで変なところで怒り出す能登のような人物だったのでしょうか。
 このように人が社会の中で生きていく中で許容して考えずにいるべきことを深く考えて悩んでしまうことが、大庭が人間失格となった理由だったのかもしれないと私は思います。人間が人間になるには、何も考えずに馬鹿であるべきだ。
今は自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。

 大庭の手記の終わりに、彼が悟ったものを書き記していました。絶望とかそういうものを越えてしまった彼の心境には、幸福も不幸もないただの「」のような感情が広がっているのでしょう。人生には幸福も不幸もたくさんありますが、彼にはそれがない。なぜなら彼は人間失格なのだから…
 後、同じ本に載っていた桜桃の感想。
 一言で言うと、漫画版NHKの委員長の兄が言っていた台詞、
どうすれば良いのか全部わかってる。わかるけどどうにもならない!
 という感じでしょうか。
 

人間失格・桜桃 (角川文庫)
(2009/05)
太宰 治

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小説

Posted by YU