ゼーガペイン 25、26話感想&総括

雑記
 最近またまたトルネコ3始めたよ!
 異世界行くのはやめて、宝物庫で発掘やってるけど、なんか、ほとんど作業だな…。


25話 舞浜の空は青いか
 アンチゼーガが舞浜サーバー内に侵攻。住人を守りながらキョウは戦わざるを得なくなりますが、セレブラントたちが住人を何とか守ってくれている様子。何かを守りながら、力を合わせて戦うのはまさに王道ですね。ただ、額を光らせて目をつぶってみんなを守っているセレブラントを見て、「まるでESPや!」と思ってワロタww
 舞浜の普通の住人がアンチゼーガを追い払うときに、少しだけセレブラントとして覚醒していました。セレブラントへの覚醒は現実を柔軟に受け入れるものがなるようなので、おそらくこのときのみんなの覚醒は、アンチゼーガを現実として受け入れ本気で追い払おうとしたからかもしれませんね。
 サーバーを持ち出すため、キョウはたった一人だけ実体に戻ります。半永久的に生き続けるみんなと、別の時間を歩んでいくことを覚悟して。このときのキョウの覚悟ではあまり大層な主張は無かったのですが、逆にその静かな覚悟が私の心に染み入るようでした…。
26話 森羅万象(ありとあらゆるもの)
 最終回。ラストにふさわしい、壮大なタイトルとなっています。
 「かけがえのないもの」を捨てたアビスですが、相方のシンが死んだときは動揺していました。永遠と孤独の中を生きると思われていた彼ですが、最後に少し人間らしいところを見せてくれるとは…。
 キョウとアビスの決着は、ビームのようなものの打ち合いではなく、肉弾戦でした。ど派手に戦ってきても最後はやっぱりこれですね。アメリカアクション映画の王道展開。
 戦いが終わっても、技術解析のためにすぐに人類が元通りというわけではありませんでした。しかし、希望の無かった以前とは違って、今は希望に溢れているようです。

 「命に限りがあるから、今を精一杯生きられる」

ということをクロシオが言っていました。半永久的に生き続けることを望んだ彼ですが、彼なりに人間として生きることの価値がわかったようでした。この物語の一つの結論を言い表してくれているようです。
 みんなと別の時間、別の次元を歩んでいるキョウは、食事をするのも一苦労のようでした。データ上ならいくらでも食事は出来ますが、しかし今はこの不自由さも彼にとっては心地よいのでしょう。本物と本気で触れ合えるのなら、そんなことは問題で無いのかもしれません。
 
総括
 第一に言うと、設定でちゃんとSFしていたのが個人的にはうれしい!何でもかんでも「魔法」で片付けてしまうようなシリアスなアニメは、正直好きじゃないんですよね。ギャグとかほのぼの系なら魔法が活躍してもいいけど、シリアスな場面で魔法が出てくると、物語として制限がなさすぎて感動味に欠ける気がするんです。
 まあ、設定についてはまだいくらか疑問が残っているのですが。少し挙げていきます。
・1話で「ゼーガは考えれば動く」とされていたのですが、あれはデータ上の存在だったから出来たと思うので、実体になると思考をゼーガに送信が出来なくなって動かせなくなると思うがどうか?
・キョウが実体になれば記憶を取り戻すのはおかしい気がする。実体になるためのデータはあくまでも幻体データからのみだろうし。
・QLについての説明。
・ゼーガや飛空母艦は地球上のどこでどうやって製作したか?
・ゼーガの量子転送で負担があるのなら、無理に転送するよりも飛空母艦から直接ゼーガが発進すれば負担が軽くなるんじゃないのか?
 アニメだけでは補完されないいくつかの設定に関しては、wikipediaに載っていたりするので、アニメ視聴後に閲覧してみると面白いです。ルーシェンは男でも女でもない(!?)と書かれていたりして、アニメ版には無いいろいろな設定わかって面白いし、ゼーガペインの由来は「是我痛」つまり「痛みを受け入れる」ことであり、それが痛みを感じない現実世界のナーガとの対比になっていることとか。
 ついでにゲーム版のゼーガペインについて調べてみましたが、あまり情報が無かった…。人気出なかったのかな?
 このアニメについて正直に言うと、ポップでキャッチーな部分が少なかったと思います。<ポップでキャッチーな魅力がほとんどの、日常系アニメとは対角に位置するようなアニメだったかと思われます。しかしだからこそ、複雑な設定を活かして複雑な人間の心理の変遷を描けたり、人間の進化などという壮大なテーマを扱えたのではないかと私は思います。
 思えば、このアニメの進行はずっと「伏線張る」→「伏線の回収、視聴者への問題提起」でした。伏線が張られたときには、自分なりに世界についての考察をしたりしてみましたが、見事に裏切ってくれたりしましたよ。伏線が綺麗に回収されていく様子は見ていて爽快でしたし、新しい事実によって生じる新しい人道的問題が出てきたりしたので、伏線回収の後でも考え込んだりすることが出来ました。
 こういう風に、視聴者に考えさせてくれるような物語は好きです。自分から進んで考えれば考えるほど物語に熱中できて、さらに物語を愛することが出来ますから。何も考えずに見れるアニメだとこうは行かず、アニメの中の設定でちょっとした小話を「妄想」することくらいしか出来ないですからね。
 ゼーガペインの最初は「どっちの世界が現実か」を最重要な問題としていましたが、全てがわかってどっちの世界が現実であるかがはっきりした後でも「自分にとっては、どちらの世界が本物か」を問題にしていました。前者は客観的世界について、そして後者は主観的世界について表しているようですが、このように複雑な設定の中でも主人公の心理描写を忘れずに、設定を羅列しただけのアニメにならなかったのは個人的にはかなりの高評価です。やはり、物語とは主人公がある設定の中でどのように考え、動いていくかが重要だと私は思います。
 しかし…、ゼーガペインの設定は凄いな~と感嘆せずにはいられません。量子コンピューターによってある物体の組成を全てデータにして、それをコンピューター上で飼育することで未来ある世界を創造するなんて…。こういう設定ってSF小説とかには既出のものなのでしょうか?このような世界構想には少し興味あるのですが、こういうことについて詳しく研究しているウェブサイトみたいなのって無いのでしょうか?
 「データ上の世界で無限の命を手に入れて、世界の謎を解き明かしていく」というのが量子コンピューターの世界を創ったナーガの理想であり、それに対して主人公側は「命に限りがあるから、今を精一杯生きられる」という信念を持っていました。
 ナーガと主人公側はどちらが正しいかを断言することはできません。両方の思想とも正解と言えるでしょう。世界の謎を調べるには、人間の命は短すぎる。しかし、「ヒトとして生きる」ためには「終わり」が無ければなりません。そう考えれば人間の知的欲求や本能を全て満たす世界は存在しないでしょう。ナーガは無限に生きたい人間だけを量子コンピューターの中に入れれば良かったのですが、彼は「ヒトとして生きたい人々が反乱すること」も自分の興味の一つとしてしまったのが、問題の発端ではなかったのでしょうか。
 今までの生物界とは全く違う生物の生き方を提示し、それによって生じる新たな問題と、今こうやって生きている私たちは一体どのように生きているかを再認識させたのが、この「ゼーガペイン」というアニメだったのではないかと私は思います。
1~4話の感想
5~8話の感想
9~12話の感想
13~16話の感想
17~20話の感想
21~24話の感想

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Posted by YU