暇と暇つぶしと面白さの相互関係
最近暇な時間が増えていろんな漫画を読んだり、ゲームをしたりする時間が増えました。
休日なんかずうっと部屋に引きこもって、パソコンに向かったりしています。
しかしですね、そうしているうちに
これは本当に自分の趣味なのか?
なんてことを思うことがたまにあります。
その感情について、すこし考察します。
興味のある人はどうぞ
完璧な個人の問題かもしれないので、一般性は無いと思いますが
私は漫画が好きです。ゲームが好きです。散歩するのが好きです。それらは確かに私の趣味であり、私の人生に安らぎと楽しみと、生きる喜びを与えてくれていると思います。本当に面白いものを見つけたとき、
「この趣味さえあれば、一生困らない!」
なんてことすら思うことがあります。
生活が忙しく、漫画を読んだりゲームをする時間すら無いときは
「もっと暇な時間をくれ!もうこんな生活嫌だ!」
みたいなことを思います。
しかし、急に暇な時間を大量に与えられると私はそれを手放しで喜ぶことが出来ません。
なぜなら私は、暇つぶしを長時間すれば全てが面白くなくなるということを知っているからです。なぜそんなことを知っているのかと言うと、ただの経験です。
具体例で言うと、ある土日、私は一切この二日間に予定を入れていませんでした。どこかに行けばいいのですが、その日はとても蒸し暑い曇りであったので、外に行きたくありません。ですので私は部屋で暇つぶしをすることをします。とりあえずパソコンの電源を付けてお気に入りのWEBページを回ります。その後ブログを更新したり、ゲームをします。そんなこんなで5,6時間経ちますが、もう目が疲れてパソコンをしたくなくなります。なので、パソコンの電源を消します。何をしようかと迷うので漫画を読みます。少し時間が経って、飽きます。私は何をしようかと考えながらごろごろします。
そのあたりからやつがやってきます。私の中の死神とでも言うべき存在が。
やつは言います。
「お前、そんな生活が一体何になるかわかっているのか?ゲームも漫画もただの一過性の麻薬みたいなものだ。例えその一瞬一瞬が楽しくとも、結局は何も残らないじゃないか。そんなことをして何になる?」
私は言い返します。
「たとえそうだとしても自分には他にやることも無い。後に残る勉強というものをしても、結局は忘れたりするし、研究をしてもどうせその業界の一番になんかなれっこしない。それなら少しでも楽しいことをしたほうがいいじゃないか。」
やつは、言います。
「本当にそれを楽しいと感じているのか?」
「・・・・!!」
いつもなら「楽しいさ!」と答えることが出来ますが、長時間の暇で暇つぶしすら飽きた時の自分では、はっきりと答えることが出来なくなっていました。
私はあわてて他の楽しそうなことを思い浮かべます。しかしそれは徒労に終わります。なぜなら全てが、私の人生のただのスパイスであり、メインディッシュに成り得ないからです。
私には生きる意味が無い。残りの何十年の人生を、趣味ではなくただの暇つぶしで過ごすことになるのか・・・
このように私の人生観はどんどんネガティヴな方向へ向かい、やることなすこと全てが馬鹿らしく感じてきます。このブログを消してしまおうかと考えたこともあります。
この状態から回復する手っ取り早い方法は、寝ればいいんです。寝れば目の疲れも回復し、昨日読んだことも少し忘れているからもう一度物語を楽しむことが出来ます。
もしまだ時間があるなら、何か新しいものを買ってきます。何かを買うことによって、それがどのように私に面白さを伝えてくれるのかという、ほんのわずかの希望を与えてくれます。
人生に希望は必要です。この先どんな面白いことがあるのか。私の人生にはどんな物語が待ち受けているのか。そんなことを寝る前にでもいいので妄想をすれば、この意味の無い人生を歩む続けることが出来るのではないでしょうか。
う~む。やけに変な考察文になってしまった。というかこれはむしろ考察と言うよりエッセイじゃないか。そして主旨が一貫していない。ただ自分の中の取りとめのない気持ちをメモっただけっぽいな。
とりあえず言いたいことは、
やけに長い暇な時間を作らない。
いつでもやりたいことを頭の中に思い浮かべておく。
暇な日の計画を立てておく。
の三つです。
そういやニートと引きこもりの方々はこの気持ちを味わったことがあるのかな。自分は部屋でずっと過ごせば、どんどんネガティヴになるからこの二つのどちらかになれば自殺してしまう恐れがある。