潮騒 感想
潮騒 作 三島由紀夫
1954年に発行された、三島由紀夫の代表作の一つである『潮騒』の感想を書いていきたいと思います。
三島由紀夫の人柄と歴史と、この作品の登場を考えると謎が多いようですが、この記事ではあくまでもその内容のみに注目していきたいと思います。
潮騒 (新潮文庫) (2005/10) 三島 由紀夫 |
『歌島』という、現実には『神島』と呼ばれている島がこの作品の舞台です。伊勢湾と太平洋を隔てる場所にあり、大型船もよく近くを通るようです。昭和前期のこの島の役目と言えば、伊勢湾や三河湾に入ってくる輸送船等の動向を港に教えることと、漁をすることのようです。
周囲一里(約4km)にも満たない小さな島ですのでやはり「田舎」で、都会的な発展をしておらず昔ながらの素朴さが小説からも感じられるような、そんな雰囲気を持っている島のようですね。
小説には歌島について多くの描写がなされています。岬や灯台の場所、この地に存在する伝説、島民の苦労と喜び、そして潮騒。読み進めていくと現在都会に住んでいる人間でも、ある程度は島民たちの生き方と感覚が養われてくるようでした。
ストーリー自体はものすごくシンプルで、王道とも言えます。すんなりと受け入れられない難しい男女の恋が、当人たちの努力と周囲の協力によって円満に遂行される、という感じです。難しい箇所は一つもないので、ここでわざわざ説明する必要もないでしょう。
ストーリーの目新しさ自体はあまりありません。だからこそ、そういう小手先の魅力ではなくて全体の魅力、つまり歌島の雰囲気というものがこの作品の魅力の大部分だったと思います。
純朴で働き者の新治や海女たちの心情はやはり簡単です。が、肉体労働をしているときのあの清々しさや、肉体的苦痛とそれに慣れてくる感覚、シンプルな自然の音、そういうものは理性ではなく本能的に感じてくるものです。そういう、言葉に変えがたい本物を見事に描写した三島は、小説家としてかなり素晴らしい技術を持っていたということがこの作品だけからもわかります。
島民の個人的な問題が島自体の問題のように扱われるような描写があるため、歌島の社会はほとんど歌島内で完結しているようです。これは都会や国レベルで生きる人々とは、全く違った感覚でしょう。小さい社会だからこそ、自分の世界は手に収まる程度であり、そこで大団円となれば自分の世界も大団円であり、わかりやすい幸福というものがあるのではないかと個人的に思います。
島外には多くの娯楽や新しいものがあるでしょう。ですが、そういうのは知らなかったら存在しないのと一緒です。知ってしまえば自分の世界は中途半端な存在になりうる可能性があります。「もっと良い物を。もっと良いシステムを」と望むのはまあいいですが、しかしやっぱりそれには終わりがありません。
ラスト一文、新治は自分の行った嵐の中の偉業を、初江が守ってくれたのではなくてあくまで自分の力でやったと考えています。これはこの小説が「青春恋愛モノ」というカテゴリに一直線のものではない、ということの証明だと思います。じゃあ何かというと、最後の一文は新治の歌島の人間としての成長と誇りを表しており、そしてそういう風に島民と島というものが続いていくということを表しているんじゃないかと、私は思います。
というわけでこの作品の主人公はもしかして、井上靖の『敦煌』のように、歌島それ自体だったのかもしれません。歌島という小さな世界と美しさ、複雑な都会で生きる人の単純(に見える)世界への羨望、そういうことを描いているのではないかと、私にはそう感じられました。