漫画『銀の匙』の感想―農業・畜産系漫画の決定版
週刊少年サンデーにて2011年から2019年にかけて連載されていた漫画、「銀の匙」を読み終えたので感想を書きます。
巷には様々な学園モノ漫画が存在しますが、普通科高校ではなく農業・畜産系高校を書いたのは珍しいものです。
しかも北海道が舞台で、本州では見られない描写もまた面白い。
著者が北海道の農家で生まれ育っているので真実味もあって、読んでいると「北海道に行きたくなるなあ」と思うかも?
農業・畜産の描写について
農業系の職業は脱サラ先の職業としてよく選ばれるものですが、もちろん都会のサラリーマンと同じく嫌な部分だってあります。
この漫画では業界の良さと悪さの両方を出来るだけ多く描いており、「夢見がち」だなんて否定は読者は出来ない説得力が有ると思います。
自分で育てた作物の美味しさと、それを他人と分け合う喜びがあり。
食べるために育てたはずだけど情が移って殺しにくくなる悩みや苦しみ、年中無休で働いても借金がかさんで離農する辛さ。
この漫画に登場する大人たちのほとんどが、若者たちが悩み苦しむことを許容し、推奨しています。
悩み続けたって答えが出るとは限らない。
それでもなお悩まざるを得ない。それが生きることだって分かっているからです。
そして大人たちも同様に悩み、若者たちに影響されて教えられて、別の道を歩む人もいる。
大蝦夷農業高等学校の校訓に「理不尽」がありますが、これは恐らく学生が家畜の奴隷であったり高校に強制労働させられていることを揶揄したもの……
でもあるのですが、もう一つ意味があるのでしょう。
理不尽とは、「合理性だけでは解決できないことがある」
そんな意味もあるのでしょうね。
(そういう演出や見せ方が多く描かれてます)
主人公の性格
視野の広い、自分より他人のクソ真面目。
まさに「主人公」です。
自分も年をとったからか、八軒も好きですが、その親に少し共感しつつあります。
恐らく私が八軒の親だった場合でも、同じような態度や方針をとったと思います。
八軒は勉強に病んで大蝦夷農業高校に逃げるようにやってきましたが、元々勉強が好きだったようですね。
だから親としては思う存分勉強が出来て自信もつきそうなところに進学させるのは分かる。
誤算だったのは、八軒が思いの外他人の喜ぶ顔が好きだったってことでしょうね。
自分一人だけのために頑張るという性格ではなかった。
「元々やりたいことなんてなかった」ってセリフは、その性格を表しています。
1年目は文句なし、2年目以降は……?
作中の1年目は八軒の悩みや戸惑いを描きながら、北海道と畜産について面白おかしくかつ深みのある描写が出来ており、農業系漫画の金字塔であることは間違いなしの出来です。
しかし作者の休載の多さと比例してか、作中2年目・3年目はだんだん展開が早すぎるような雑なような印象を受けました。
八軒2年生の頃の描写なんて本当に僅かで、いつの間にやら3年生になっているんだから。
そして3年生になったら1年生のときに蒔いた種(伏線)を回収することに手一杯な感じになり。
一応はちゃんとほぼ全ての主要サブキャラの顛末が描かれておりますが、1年目の頃(特に駒場)のような重くて深いシーンは無く、なんだか『軽い』印象です。
もっと絶望と光をくれ!
『銀の匙』
タイトルの『銀の匙』には色々な意味が作中で言及されています。
1.飢えないように豊かであることを願う
2.1から、親の子供への愛
3.その家の財産
4.3から、先人の積み重ね
(5.銀は毒と反応しやすいから毒を見抜いて暗殺されないように)
私は八軒の父と似たタイプの性格だから思うのですが、あんな風に見えても息子のことはしっかりと愛していると思うんです。
エゾノーに行っても「落ちこぼれ」だなんて否定せず、「今度過労で倒れたら連れ戻す」ってセリフは翻訳すれば「少しは自分の身体を労ってくれ。辛いことばかりだったら遠慮なく辞めていいぞ」って気持ちとほぼ同義です。
「先人の積み重ね」という言葉は、開拓民の北海道人やアメリカ人なら特に来るものがある言葉なんじゃないでしょうか。
先祖代々同じ場所で暮らしている人や転勤族は案外、先祖の苦労ってのを目に見える形で残ってないことが多いです。
対して開拓民は自分の家の周りにはまだまだ原生林が残っていたりして、開拓にやってきたときの苦労も口伝などで残っていやすい。
この世をより良く、もっと面白いことをしたい、豊かになりたい、そういう願いは現代の我々が持っているのと同様、先人たちも持っていました。
先人たちの戦いが今の豊かさとなり、そして我々の願いが我々を先人にし、後人の豊かさとなっていく。
そんな人々の思いの流れもまた、『銀の匙』に表れているのでしょう、